福音を恥としない

ローマ人への手紙1章16節

私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。


「恥」は時として、私たちをつき動かす強い動機となります。恥をかきたくないという動機で行動するのです。

しかし、これとは正反対に、今日の箇所で使徒パウロは、福音を恥とは思わないという確信が、彼の行動の動機となっていました。パウロのこの確信が何か、4つのポイントを押さえておきましょう。

1.パウロの個人的な体験による確信

パウロは福音を語ることで迫害され、恥まみれのような人生でした。しかし、彼は決して福音を恥とは思いませんでした。なぜなら、彼は個人的な救いの体験を通して、命がけでキリストの福音を信じ、誇りに思い、キリストを通してなされた御業に感謝していたからです。

福音宣教は私たちに与えられた素晴らしい特権なのに、悪魔は3つの嘘で私たちを惑わそうとします。

第1、人々が嫌がるから、あまり熱心に福音を語り過ぎないほうがいい。―人々は福音によってでしか救われません。

第2、福音を語っても、だれも回心しない。―回心は神様の御業で、私たちができるのは福音を伝えること。

第3、伝道は、牧師や宣教師に任せなさい。―私たちすべてがキリストを証しする器です。福音の素晴らしさを伝えるのは牧師だけではなく、私たちすべてに委ねられた使命です。

キリストによって救われ、素晴らしいことが起こったと語りましょう。福音を恥とすべきではありません。なぜなら、私たちは福音によって救われたからです。

2.神の真理に立つ確信

福音とは「良い知らせ=イエス様の救い」です。これは、神の真理に立つ神学的な確信です。

パウロはローマ書で、救いの道は3つあると言います。異邦人には、良い行い(2:6,7)。ユダヤ人には、律法 (2:13)。しかし、どちらも完璧に行うことができないため、救われないのです。

しかし、もうひとつの道があります。神様が私たち罪人を愛し、御子イエス・キリストを通して救いの道を十字架の上で完成させてくださったのです。ですから、救いの道は3つあるようですが、実はすべての人が救われる道はただ一つ、イエス・キリストを信じることだけなのです。

3.霊的な確信

パウロは「福音は信じるすべての人に救いを得させる神の力です」と語りました。救いに関しての4つの重要な事柄を知りましょう。

第1、過去、現在、未来において罪の償いは完成されている。

第2、私たちは永遠に赦されている。

第3、無償で与えられている。

第4、神の御子、聖なるイエスの尊いいのちの代価によって実現されたのです。イ

エスは私たちのために死なれたのです。この福音をどうして恥じることがあるでしょうか。私は福音を誇りに思います。

4.証しに関する確信

私の母はミッションスクールでイエス様を信じましたが、私の祖父はそれに激怒しました。

しばらくして、祖母が失明し、祖父は西洋医学には何でもできると信じていたのに、医者から治らないと告げられ、初めて絶望しました。

(へりくだ)って祖母を教会に連れて行き祈ってもらうと、3日後に完全に見えるようになったのです。祖父は本当に喜び、キリストこそ真の神だと信じ、福音を恥とせず熱心に証しし続けました。

悪魔に惑わされて福音を恥じるのではなく、神様がどんなに祝福してくださったかを証ししましょう。神の奇跡が起こることを体験しようではありませんか。

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