教会に与えられたいやしの恵みを引き出そう
使徒の働き4章29節~31節、8章4節~8節
…あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。」彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。
散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はピリポの話を聞き、その行なっていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた…
今日の癒しの礼拝において、恵みの雨の中に私たちは心も喜び元気でワクワクしており、癒しが現わされることを感謝し、信仰生活に大きな喜びがあるようにと祈ってまいりましょう。
南米からの奇跡のニュースに大変驚きました。アマゾンのジャングルに小型飛行機が墜落し、1歳から13歳の4人の子どもたちが行方不明だったのが、墜落から40日後に発見、保護されたというのです。
災害後72時間が人命救助のタイムリミットの目安とされていますが、40日間どのように生活していたのか聞けば、ジャングルの先住民として生活をしていた祖父母から、サバイバルのための知恵や術を子どもたちは伝え聞いていたのだそうです。
私たちクリスチャンも、神様を信じることによって 特別に、生きる力や新しいノウハウが与えられていることを知りたいと思います。
聖書には多くの癒しの出来事が記されています。特に、神様を信じ、教会に集まっている者には、神様の癒しの御業が働くことが約束されています。
今日の聖書箇所から、教会に与えられる恵みについて、3つのポイントから学んでまいりましょう。
私たちクリスチャンに与えられた恵みや力は、逆境や問題、困難な状況においても、神様の救いや癒しをもたらすものであると知りたいと思います。
この箇所で、信徒たちは激しい迫害から逃げながら、捕まる恐怖を覚えながらも、教会の本質を伝え続けたのです。
私たちから見て、悪い状況としか思えない状況にあっても、彼らが福音を伝え、祈ることで、病気の人は癒され、悪霊にとりつかれた人たちは自由に解放され、信じる者は増えていったのです。このことを覚え、私たちも実践していきたいと思います。
2.たとえ逃げながらの不便な状況においても!
会場が整えられて、癒しの賜物を持つ牧師が語り、賛美が素晴らしいから癒しが起こるのではありません。彼らは、不便極まりない状況で、迫害者の目を避け、逃げながらも、小声であっても、熱心にイエス様を伝え続けたのです。
その中で、神様の御業は現わされました。イエス様を信じ、罪から解放され、幸せになれること。私たちの生活の中にそのような神様の恵み、癒しの力が豊かに現わされることを熱心に宣べ伝え、状況が整っていなくても癒しの力が現わされることを体験しましょう。
3.たとえ使徒ではなく信徒であったとしても!
サマリヤ地方で起きたリバイバルの中心にいたのは、ペテロやヨハネや、使徒と呼ばれる教会のリーダーではなく、食事の配膳担当のピリポでした。
一人の熱心な信徒を通して神様の癒しの御業や霊的な解放は事実として起こっていたのです。教会には聖霊の働きによって、癒しや解放が当たり前のように与えられていました。
人から認められる立派な人の祈りだから癒されるのではなく、神様を信じる信徒が熱心に祈ることで癒されることを覚え、私たちも熱心に祈ってまいりましょう。
教会はイエス様のご計画を受け止めて以来、聖霊の力が宿り続けています。祈り、福音を語ることで、人々は癒され、解放されていくのです。私たちはこの原則に立ち帰ろうではありませんか。
4.思いっきり豊かに与えてみる、それを実行
人生は、自分の生きざまの反映です。豊かに気前よく与えれば、人は豊かに与え返してくれます。 イエス様が語られた「人生訓」は、世の中でよく言われている「人生訓」とは反対のものです。
しかし、その難しい事柄を厳しく戒めているのではなく、まずイエス様ご自身が私たちに対して実行してくださいました。
いきなりイエス様のようにはできませんが、いつもイエス様と共にいて賛美し、お言葉を受け止めていくと、イエス様に似た部分が必ず生まれてきます。
この6月、イエス様に倣うよう意識的に行動して、一歩でも二歩でもイエス様に近づいて、信仰を成長させていただきましょう。
5.生まれる前からの神の選び
救い主イエス・キリストと出会い、クリスチャンとされたことは、とてつもなく大きな恵みです。私たちは、生まれる前から選ばれ、神様のビジョンが備えられた特別な存在なのです。
困難の中で自分を過小評価せず、神から与えられたビジョンに立ち戻りましょう。信仰により、本来の自分へと原点回帰して、生き生きとした力強い歩みを取り戻しましょう。(エペソ1:3-7)