主キリストとの正しい関係の中で癒される
ルカの福音書17章11節~19節
…十人のらい病人がイエスに出会った。…イエスはこれを見て、言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中でいやされた。そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、…引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。そこでイエスは言われた。「…神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」
2001年9月11日のアメリカでの同時多発テロから20年の記念式典が話題ですが、私はこの日、どこで何をしていたか鮮明に覚えています。
聖霊運動100年を記念した大会開催に現場の責任者として関わっていました。メイン講師としてお招きしていたアメリカの有名な先生が、台風で来日できなくなり、大会の冒頭で、なぜか一番若い私が責任者として謝罪をすることになりました。
神様に祈りながら、会場に集う満員の会衆に向かって信仰を問うように語りかけました。「この有名な先生の話を聞くこと以上に、イエス様に出会い癒される大会としましょう」と。
これは、今日の礼拝にも言えることです。単なる癒しの現象だけでなく、癒し主であるイエス様と出会い、そのイエス様の恵みを頂き、癒されたいと思います。
今日の聖書箇所のポイントは、10人癒されたのにイエス様に感謝を伝えに戻ってきたのは異邦人であるサマリヤ人ひとりだけだったことです。
同邦のユダヤ人は誰も戻らなかった。当時のらい病人の生活の律法はしっかり守っていたが、神様との関係、霊的な関わりを回復し、命の造り主、癒し主に立ち返ることができませんでした。
私たちは、神様との正しい交わりを持って癒されるための3つのポイントを確認しましょう。
1.イエス様との関係に立ち返ること
祭司の所へ行く途中で癒されたことに気付いたらい病人たちの内、9人は癒されたことを喜び、祭司に見せに行きました。しかし、たった一人だけがイエス様に、癒されたことを感謝し讃美するために戻ってきました。
私たちも今日の癒しの礼拝で、自分の病が癒されるという現象だけを求めるのではなく、命の与え主、癒し主であるイエス様に出会えることを感謝したいと思います。
9人は、病気が治って喜んで終わりました。しかし、一人は喜んでイエスに立ち返ったのです。イエス様に立ち返り、イエス様との関係を持ち続けることを喜びたいと思います。
2.イエス様に常に感謝すること
最近の私たちは、人の批判はしても、感謝やお礼をすることが少なくなっていると思います。
そもそも罪人であった私たちがイエス様の十字架によって救われたのです。イエス様に感謝しましょう。
癒された一人は、らい病が癒されたことを感謝し、救い主イエス・キリストに、そしてキリストを遣わされた神の癒しの恵みを感謝しに戻ってきたのです。私たちが忘れてはならないのは、癒してくださるのはイエス様であるということです。
イエスに感謝し、イエスを讃美しながらさらに大きな恵みをいただきましょう。
3.信仰によって更なる恵みに満たされる
イエス様は戻ってきたサマリヤ人に「あなたの信仰が、あなたを直した」と言って、彼の信仰を認めてくださいました。
しかし、他の9人には信仰が育っていませんから、次の問題の時には、またイエス様が必要です。私たちもイエス様に立ち返り、小さな信仰があることを認めて頂きましょう。
そのことが私たちの人生に恵みの循環を起こし、祝福を継続させる約束となります。小さくても信仰があればイエス様を呼び求める時、必ず応えてくださいます。その恵みを頂こうではありませんか。
常にイエス様に繋がり、感謝、讃美をもって過ごしてまいりましょう。
4.素直に悔い改める
自分の損得勘定で生きていないか、自分を神の光に照らして自分がどういう者かを素直に認めましょう。
神の前で悔い改めるなら、人生の再スタートを切ることができます。イエスの十字架と復活の恵みをいただくには、悔い改め、人生の再スタートを神に与えられることが必要です。
今、心を微調整しましょう。どこかでパリサイ人になっていないか、素直に自分を見つめ、取税人の祈りを自分のものとしましょう。イエス様が自分をご覧になって、何と言われるかを考えましょう。
自分の弱さ、だらしなさを素直に認め、悔い改めて祈るなら、もっと成長してより大きなものを実現できます。
5.集まり続けよう
初代教会が誕生してから、何十年も経って書かれたヘブル書は、教会に宛てた書簡です。
その10章25節に「いっしょに集まることをやめたりしないで」とあるように、何十年も教会に通ったから、もういいのではなく、むしろ集まり続け、聖霊の力で満たされ、互いに励まし合い、主によって祝福されましょう。
教会の生命線は集まりにあります。この夏、共に集まる価値を頂いて前進しようではありませんか!