ダビデが言った。「サウルの家の者で、まだ生き残っている者はいないか。…」…サウルの子ヨナタンの子メフィボシェテは、ダビデのところに来て、ひれ伏して礼をした。…ダビデは言った。「恐れることはない。私は、あなたの父ヨナタンのために、あなたに恵みを施したい。…あなたはいつも私の食卓で食事をしてよい。」彼は礼をして言った。「このしもべが何者だというので、…この死んだ犬のような私を顧みてくださるのですか。」…メフィボシェテは…いつも王の食卓で食事をした。                                      第2サムエル記9章1節~13節

今日の箇所で、ダビデ王は三度、「あなたに恵みを施したい。」と語っています。この言葉を通し、神が私たちにも豊かな恵みを施したいといつも望んでおられることをしっかりと覚えたいのです。

1.人生を変える恵みの約束

ダビデとサウル王の息子ヨナタンは、仲の良い親友でした。サウルがみこころに添わない王だとわかった時、神はサウルからダビデに王位を渡そうとします。その時、サウルはダビデを殺そうとしますが、ダビデを愛していたヨナタンによって逃がされ、ダビデは、「私が王になった時、ヨナタンの一族に恵みを施そう。」と約束します。ヨナタンとサウルは戦死しますが、ヨナタンにメフィボシェテという5歳の息子がおり、乳母が抱いて逃げる時、慌てて彼を落とし、足が不自由になっていました。その後、彼はずっと追っ手から逃れる生活をしていました。
十数年後、ダビデは親友ヨナタンとの約束を思い出し、彼の息子がいること知り、呼び出します。「あなたの祖父サウルの土地を全部返そう。そして、私の息子のように、いつも私の食卓で食事をしてよい。」いつ命を奪われるかとビクビクしていたメフィボシェテの生活は一変して豊かになります。ダビデが親友ヨナタンの子に恵みを与えたいと願った、それ以上に、神は私たちに恵みを与えたいと心から願っておられます。

2.神の恵みの相続人としての心構え

では、どうすれば恵みを実際にいただくことができるのでしょうか。メフィボシェテがダビデのもとに連れて来られた時の言葉に注目したいのです。「なぜ死んだ犬のような私に良くして下さるのですか。」彼の心の中にある否定的な思いが表われています。彼は、心まで萎えてしまい、自分が一生隠れて生活しなければならない価値のない者だと勝手に思っていました。そのために、受けられたはずの恵みを、長い間、受け損ねていたのです。
私たちは、自分をどのように評価しているのでしょか。エジプトを脱出した後、カナンを偵察し戻って来た十人は、「先住民は、みな背の高い強い者たちだ。私たちは、いなごのように見えただろう。」と思い込み、それを信じたイスラエルの民は、約束の地に入る恵みを受け損ないました。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」と言われる神の目から見た自分自身の姿を知り、そこに神の恵みをいただく秘訣があることを覚えなければなりません。
聖書には、キリストを受け入れ、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権を与えると記されています。ダビデとヨナタンとの契約の中にあって恵みが実現するならば、神の子として私たちが恵みをいただくことができるのは、さらに確実なことです。ですから、すべてのことを疑わず、つぶやかず、生きていかなければなりません。
詩篇に、「あなたの口を大きくあけよ。わたしがそれを満たそう。」(詩篇81:10)とあります。神の恵みの相続人である私たちは、大きく口をあけて、「祝福を期待します。」とお祈り致しましょう。