いやし・救い・神の霊が働くキリストの教会
ヤコブ書5章13節~16節
あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。
平成から令和へと、天皇の代替わりの行事などで前代未聞の10連休になりました。この連休中のバザーは、開拓伝道以来60数年の歴史を持つ、私たちの教会に貫かれた信仰が凝縮されています。私たちはとことん奉仕し、献げ、伝道し、証しをするためにバザーをしています。この基本を忘れず、共に喜んで仕える喜びを分かち合いたいと思います。
今日の箇所は、使徒ヤコブが初代教会に送ったメッセージです。初代教会が誕生し、年月を重ねていく中で教会のシステムができ、教会の教えがしっかりと形成されました。しかし、何もないところから懸命に教会を立ち上げてきた兄妹姉妹の信仰の行いが消えていくことを彼は恐れていたのでした。教会には常に生きた恵みと行いがあり、キリストの体として生きて働かなくてはいけない、信じているならば、行動に移していこうと励まし続けているのです。
1.信仰によってひとつとなる
主に喜ばれる教会には、信仰によって心を通じ合わせた一体感があることを忘れないでください。喜ぶ者と共に喜び、悲しむ者と共に悲しむ。喜ぶ人がいると、妬んだり憎んだりひねくれたりする、本当につまらない世の中です。私たちは、共に喜び、共に悲しみ、困難も一緒に祈って乗り越えます。信仰によってひとつとなってバザーの奉仕ができる喜びと交わりの素晴らしさを楽しもうではありませんか。お互いに祈り合おうでありませんか。ひとつの家族として、単なる理屈、理想論、イメージではなくて、実際に体験的な一体感をもち、喜びや悲しみを分かち合い、祈り合いながら前進しましょう。
2.信仰の一体感は神の力をもたらす
私たちが喜びや悲しみを分かち合いながら、共に祈ることによってひとつとなることはものすごい恵みを生み出します。教会で共に祈り合うならば、病は癒され、心の汚れまで赦され、救われるのです。私たちが信仰により、イエス・キリストによって救われ、永遠の命を与えられた教会にいる時に、神の力が豊かにあり、人々は病から癒され、罪の弱さからも救われることを感謝したいと思います。この1週間も、各集会で驚くべき癒しを体験した方々が起こされました。イエスの癒しの御業は、祈る時に今も現れます。神の力が臨在している、それが教会の素晴らしさです。私たちの交わりの力を通して、今度は神の霊的な力が働くことを感謝しようでありませんか。
3.祈り合う教会に大きな力が働く
私たちが祈り合えば、人間の力を超える癒しや救いの霊的な力があるというだけではなく、それを実に大きな「力」として体験することができるのです。ヤコブはこの直後に、預言者エリヤのことを「エリヤも私たちと同じ人間だったのに、彼が祈ると雨は3年6ヶ月降らず、また彼が祈ると再び雨が降りました」と語っています。信じている者の祈り、義人の祈りは働くと大きな力があります。この偉大な力を私たちは体験していこうではありませんか。使徒の働きでも弟子たちを通して、しるし、不思議、力ある業、奇蹟さえもが起こっています。そして私たちも、同じキリストの教会です。喜びと悲しみを分かち合い、救いと癒しが起こり、それを偉大な力として体験する、教会に与えられる恵みを分かち合い、体験しましょう。