“聞く”姿勢を土台とした信仰
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門からはいらないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。しかし、門からはいる者は、その羊の牧者です。門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。」 ヨハネの福音書10章1~5節
先週、私はフィリピンのマニラにいました。ビリー・グラハム師の孫、ウィル・グラハム師の集会に参加し、四国での伝道大会のメインの講師として彼に来ていただくための直談判に行ったのです。四国の現状を伝え、その突破口を開くため、教派・教団の枠を越えて協力を要請できる説教者が、ウィル師であることを、私の言葉で訴えました。先生から「非常に胸を打たれた。良い返事ができるよう尽力します」とご返事いただき、周りの方々からも、あんなに心を動かされたウィル師を初めて見たと言われ、感謝しました。たとえ小さな私たちの働きであっても、そこに働く信仰は、世界規模で福音を語る、世界最大の伝道団体と何ら変わらない同じ信仰であることを思い出させていただいて心から感謝しています。
イエスは「わたしは良い牧者です」と繰り返して語り、イエスご自身が羊飼いで私たちは羊だと語ります。羊飼いイエスと、飼われる羊、つまり私たちとの関係で絶対に忘れてはならない要素の一つに、今日のテーマである「聞く」ということがあることを思い起こしましょう。
1.「聞く」姿勢を持とう
あなたの生活の中に、聞くということがあるでしょうか。最近は、聞く姿勢が少なくなっているかもしれません。情報や雑多な声が多すぎる一方で、自分の好きなものに耽っていれば良いという引きこもり状態の人もいて、実は聞かない人がたくさんいます。もう一度聞くということに注目したいと思います。この1週間、ぜひ生活の中で静まる時間、聖書の言葉を開いて祈り心を持って、単に自分の必要を神に訴えるだけではなく、神が私に何を求めているのか、その声を聞く作業が生活の中でちゃんとあるのか確認し、その姿勢を持ちたいと思います。
2.イエスの声を聞き分ける者になろう
羊でも、盗人の声は聞かず、自分の羊飼いである御主人の声を聞き分けるのですから、私たちは、誰の声か聞き分け、何よりもイエスの御声を聞き分ける者になりましょう。悪魔は私たちの心の隙を狙って、疑いや不安や怒りや不平不満の言葉を投げかけてくるのです。強盗や盗人や殺す者の声に耳を傾けてはなりません。神の声を聞き分ける者になろうではありませんか。その訓練のためには、聖書を一回でも多く読むことです。そうすれば、神の御声がわかるようになります。様々な人がいろんなことを言うでしょう。しかし、そんな無責任な言葉に振り回されるのではなく、神の言葉を聞き分けたいのです。
3.聞いて従う者になろう
クリスチャンにとってイエスの御声を聞くということは、それに従うということを含んでいます。聞くことと従うことは一つです。私たちも、「どうしてあなたは私の言うことを聞かないのか」と言うのは、聞こえていても、言うことに従わないことをとがめる時でしょう。良き羊飼いであるイエスの声を聞くならば、そこには、当然、イエスのお言葉に従い、言われた通りに行動することを含んでいます。神は共にいてくださり、私たちの人生に聖書の御約束の通りに、素晴らしい御業を起こしてくださいます。イエスの声を聞くならば、ちゃんとそれに従いましょう。イエスに示されたら、それに従っていく者でありましょう。