共におられる主への信仰を働かせよう

…イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう。」と言われた。そこで弟子たちは、…イエスをお連れした。…激しい突風が起こり、舟は波をかぶって水でいっぱいになった。ところがイエスだけは、…枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。イエスは彼らに言われた。「…信仰がないのは、どうしたことです。」…                  マルコ4章35節~41節

今朝、高知西福音教会の久保内政春先生が天に召されたと連絡をいただきました。神がこの説教者の魂を、天国で玉の冠で迎え入れてくださっています。長らく共に歩ませていただきました。心から感謝をもってお送りしたいと思います。また、マレーシアの働きは、私のパスポートの残存期間が、半年より1週間足りないというミスで、出発が2日遅れ、皆さんにご迷惑をお掛けしました。しかし、諦めず、神を信じ、祈り行動すれば、神が最善を成してくださり、大きな恵みに変えられたことを感謝します。マレーシアは、東南アジアで急発展中の、日本を国造りの手本とする親日国ですが、非常に熱心なイスラム教国です。政府による締め付けに反対し、クリスチャンたちは、教会を力強く守りクリスチャンを増やそうと願っています。日本人が尊敬されるお国柄もあり、私たちの支援を期待し、感謝してくれています。
聖餐式に当たり、今日の御言葉から、あなたの信仰が働いているか、確認してほしいと思います。
ガリラヤ湖の岸辺で人々を教えておられたイエスは、日暮れになり、弟子たちと向こう岸へ渡って行かれました。すると、激しい突風が起こり、舟は波を被って沈みそうになりました。弟子の中には漁師がいましたから、彼らの経験や知恵で、その危険をやり過ごそうとしましたが、万策尽き、イエスを起こしました。すると、イエスは湖に向かって「黙れ、静まれ」と命じて、これを静めました。そして、弟子たちに言われました。「どうしてそんなに怖がるのです。信仰がないのはどうしたことです」。今日もイエスは、私たちに同じように問いかけておられます。イエスの言われる信仰とは何か、理解しましょう。

1.救い主イエスが共におられる

信仰とは、救い主、イエス・キリストと一緒にいるという関係性です。イエスが共におられるから、どんなことが起ころうと、安心、平安があるという事実です。嵐は、私たちが信仰を働かせるために、神からの特別な訓練です。イエスが、向こう岸へ渡ろうと言われたのですから、主の御言葉を信じ、進めばよいのです。イエスは、私たちと共におり、平安があることを証明するために、十字架の血潮で贖ってくださいました。どんなピンチがあろうとも、イエスは共にいてくださるという事実を忘れてはいけません。これが信仰で最も大切なことです。

2.ピンチの時にも平安が与えられる

私たちの人生も、風や波に苦しみ、不安、恐れ、恐怖で一杯になることもあります。しかし、どんなに絶望していても、なぜか平安が与えられる事実があります。それは、2千年経った今も、イエスがあなたの人生という舟の中に共にいてくださるからです。イエス・キリストの十字架の血潮によって、罪、悪の力から守られているので、平安なのです。今日の聖餐式で、イエスの御からだと血潮をいただく私たちの人生にも、「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられる」と言われる主が、究極の近さで私たちと共におられ、平安の源となってくださいます。イエスが共におられること、そこには、究極の平安があることを信じましょう。
主が言われる通りの信仰を働かせるなら、神の救いや恵みは、十分に与えられます。聖餐の恵みに与(あずか)り、信仰を働かせ、前進してまいりましょう。