ご自身の働きに招き入れられる主
…イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」…弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。…」イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」…イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。…すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。… ヨハネの福音書6章1節~14節
今回は4つ目のしるしである5つのパンと2匹の魚の有名な物語です。この奇跡はヨハネの福音書だけではなくマタイ・マルコ・ルカ4つの福音書すべてに出てくる箇所です。
弟子たちはいつも何か困ったことがあればイエスに尋ね、また人々は癒しや助けを求めにイエスのところにやって来ます。今回もイエスの話を聞こうと周りについて来た人々が男だけで5千人もおりました。そして、夕方になり人々はお腹を空かし、たった5つのパンと2匹の魚しかない状況でどう空腹を満たすことができるだろうかと弟子たちは迷っていました。
その中でイエスが私たちに何を語られるかを学んでいきましょう。
1.ご自身の御業に私たちを参加させる主
今までのしるしは、イエスご自身が直接、問題に携わり奇跡を起こして下さいましたが、今回は少し違う方法で御業を現して下さいました。
食料がない状況で悩んでいるピリポにイエスは試して言われます。5節「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか」と。イエスはピリポをご自身の立場に立たせ、どのように信仰を働かせれば良いか考えさようとされたのです。イエスが私たちに与えて下さる信仰の1つには、参加するという信仰があります。いつまでも見物人の側に立つのではなく、主の働きに参加するように導かれます。それによって、イエスがなされた御業を私たちもなすことができるようになるのです。
信仰を持ち、聖霊によって力を受けると、それまでイエス任せで自分ではできなかったこともできるようになります。私たちもイエスご自身の働きに招き入れられていることを知りましょう。
2.私自身の信仰を用いてみる
イエスは初めからないものなど期待していません。ピリポはイエスの質問に「二百デナリのパンでは足りません」と当たり前の回答をします。しかし、貧しい弟子たちがそんな大金を持っていないことくらい、イエスには分かっていたのです。イエスは、当たり前のことを聞くために質問されたのではなく、「足りないけれどもイエス様には満たすことができる」という、弟子たちの信仰告白を期待したのです。
たった5つのパンと2匹の魚であってもイエスに手渡されるとどうでしょうか。男だけで5千人、女子どもも入れれば1万人を超えるような人々の空腹が満たされただけでなく、余ったもので12のカゴいっぱいになったのです。
自分の信仰が取るに足らない小さな信仰だと恥じたり、何も得意なことがないからと劣等感に陥るのではなく、自分自身にあるものをイエスに委ねて用いられようではありませんか。イエスに用いられると溢れるばかりの祝福があります。用いられない人は誰もいません。あなたにあるものは何ですか?それを主に用いていただきましょう。
イエスの4つ目のしるしは、大きな問題があろうともイエスが共にいれば大丈夫であり、イエスと共に信仰によって考え、自分にある小さなものでさえもイエスに手渡すことにより奇跡へと変えて下さるというものです。イエスが共にいることを決して忘れてはなりません。