悪循環を断ち切られるいやし主

…さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。その中に大ぜいの病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者が伏せっていた。そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。…病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。…
                   ヨハネの福音書5章節1節~18節

 

先週の合同礼拝の後、学生キャンプに行きました。台風の影響もほとんどなく、大変恵まれたキャンプでした。全国聖会でも集会、神の家族としての交わりと喜び溢れる時を過ごせて感謝でした。
先月からヨハネの福音書の七つの「しるし」を学び始めました。今日は第三のしるしから学びます。
エルサレムにあるベテスダの池は、水が動き出した時、最初に池に入った人が癒されると信じられていました。この池の周りには当時治る見込みのない病人たちが連れて来られ、まるで大病院のような有様でした。そこにイエスが来られました。そして38年そこに寝たきりの男に語りかけ、命じられたのです。するとお言葉通りに癒されて歩けるようになり、周りの人々は驚嘆したのです。それを見たパリサイ人たちは、安息日は神を礼拝すること以外(主に仕事)は禁じられている、律法に反すると言って、イエスへの敵対心を更に強くしたのでした。
今日、癒されるために何を信じるかを整えていきたいと思います。先ずこの癒された男の状況を見ると、三重の悪循環が続いていたことがわかります。
第1に、そこは、癒されるという噂とは裏腹に病人ばかりの姨捨山(おばすてやま)のような絶望の場所でした。第2に、治る場所にいるのに、38年も病んでいる間に諦めきって絶望している。そして第3に、当時の指導者であるパリサイ人は、個人の幸せより律法遵守が第一。悪循環が悪循環を呼び事態が悪くなるばかりでした。私たちも、同じような悪循環を体験することがありますが、そんな時でも心から感謝すべき理由があります。

1.イエスは踏み込んで下さる

救い主、癒し主のイエスは私たちの問題の中にも踏み込んで下さることを感謝しましょう。
イエスは、その男のところにわざわざ近寄って、良くなりたいかと尋ねてくれたのです。自分で癒されないなどと口にしてはいけません。悪条件が掛け算のように何重にも重なったとしても、もう一つの大きな事実に目を向けましょう。それはイエスがあなたの人生に踏み込んで下さるということです。

2.イエスは変化を生み出して下さる

救い主であるイエスは、38年立ち上がれなかった男に対して、起きて床を取り上げて歩けと命じられました。イエスが生み出されるものは、常に私たちを幸せにし健康にし喜びに満たすものです。神は私たちを耐えられない試練に遭わせることはなく、試練と共に脱出の道を備えてくださいます。どのような状況にいても、イエスが入ってきて、恵みの方向へと流れを変えてくれるのです。
イエスは律法を超えるお方、天地宇宙を造られた真の神御自身であり、神の現れなるお方なのですから、人の掟や条件をものともしません。そして、人が救われ、幸せになることが御心です。
もうダメだという状況でも、私たちを救い癒す神、本物の救い主です。このイエスを思い起こし、イエスが共におられることを確認した時に、悪循環から恵みの循環へと方向転換ができるのです。だから私たちは安心して思い煩いを全部背負ったままでイエスのもとに飛び込んで参りましょう。