キリストの恵みにふさわしい者となろう

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。…私が福音を宣べ伝え始めたころ、…私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。…私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。…また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。                       ピリピ人への手紙4章13節~19節

今日の聖餐式の礼拝で、イエスの愛が確かに私たちの内に働いていることをつかみ直し、2011年の後半を歩んで行きたいのです。
今日の聖書は、使徒パウロがピリピの教会の人々に書き送った手紙です。ピリピ書の特徴というと、「喜びなさい。」という御言葉が繰り返されていることですが、その中でも、特に力強い御言葉を選ばせていただきました。「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」「私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」特にこの二つの御言葉に注目し、あなたの心にしっかりときざみ付けて下さい。あなたの2011年は大飛躍元年です。必ず大勝利します。この御言葉によって励まされ強められましょう。

1.キリストと共にある者の可能性の大きさ

私たちは、「色んなことができるようになりたい。」、「こんなことが実現すればいいのに。」と思います。力の弱さや様々な欠乏や、不足のある人間にはできないことがたくさんあります。しかし、私たちクリスチャンにはどんなことでもできるのです。これが、聖書の約束です。でも、ひとつの条件があります。私を強くして下さるイエスが共にいて、主なる神が私たちの人生に係わって下さることをあなたが忘れることがなければ、どんなことでもすることができるのです。私に与えられる神からの強さは、どんなことでも、と神が宣言されるほどのものであることを感謝しましょう。

2.神が与える恵みは、無限大である

東日本大震災の復興のために、国に、「あれをしてくれ。これをしてくれ。」と言うのは簡単です。でも、今、国もお金がありません。みんな、底が見えていて困っています。私たちの世界には限界があります。
一方、キリストにはすべての富や祝福があり、それが惜しみなく私たちのところに与えられるのです。神の恵みの蔵の扉が開かれる時、私たちの抱えている弱さ、必要、不足、欠乏、私たちが求めるものは何でも豊かに満たしていただけるのです。尽きることがない、豊かに湧き上がる恵みに、本当に心から感謝したいのです。イエスを信じ救われるということは、ただイエスを心の中で念じ、洗礼を受けることではありません。私たちの信じている神は、誠実で真実な方ですから、キリスト・イエスを通して与えられる栄光の富をもって、あなたの必要がどんなに大きかろうと、必ず満たして下さいます。その恵みのルールを忘れてはならないのです。
では、そんな神からの素晴らしい約束をいただくことのできたピリピの教会の人々は、どんな人々だったのか、確認してみましょう。
パウロは言います。「いたる所に私が伝道旅行に出かけて行って困難に立ち向かっている時に、あなたがたは、いつも私のことを思いやり、一度ならず二度までも、私を支えてくれた。」信仰により助け合い、支え合うことができる人々でした。
あなたが困難や試練の中にある時も、黙ってあなたに寄り添ってくれて、一緒に祈ってくれる人、あなたにお金があろうとなかろうと、クリスチャンとしての付き合い方が全く変わらない人、そこに、本物の友を見出します。そして、そういう霊的な家族こそ、神が愛している兄弟姉妹です。パウロがピリピの教会に対し、大きな神の祝福の約束を与えたのは、彼自身がピリピの教会に集う人々の愛を知っていたからです。
また、パウロは、「別の献金を催促しているのではなく、あなたがたが豊かな霊的祝福を受けることを願います。」と記しています。ピリピの人々は、霊的に満たされることがどれほど幸せかわかる人たちでした。
私たちも、どれほど心の中に霊的な祝福が溢れているかを、本当に大切にしていこうではありませんか。最近、「神様を信じるって、本当に素晴らしい」って、自然に心から神を賛美しましたか。「神を信じていない人に比べれば、神を信じている生活って、なんて感謝なことが起こるんだろう」。満たされているという実感。誰かのために祈って、奉仕を一生懸命したけれど、人のために喜んで奉仕できる自分に変えられている、私の人生は素晴らしい、うれしくてたまらない、そんな感覚を大切にしていきたいのです。