主からの“いのちの水”を獲得しよう

ヨハネの福音書4章13~14節

イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」


 11月を締めくくる新たな1週間の始まりに神様の御前に出て、祝福を祈り、自分の生き方を整え直しましょう。今年の残りの日々を丁寧に、大切に、歩んでいこうではありませんか。今年は、「恵みの震源地」をテーマとして「わたしを信じる者は、聖書が言っている通りに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」(ヨハネ7:38)の御言葉が与えられました。私たちが毎日元気に力強く、あるべき姿で歩んでいくために、聖書の約束通り私たちの心の奥底から、いのちの水の川が与えられることを体験したいと思います。今日の聖書箇所は、今年のテーマをもっと深く、そして、いやしの恵みも一緒に体験したいと思って選びました。この箇所は、歩き疲れて空腹で喉も渇いていたイエス様が、人目を避けたかったいわくつきのサマリヤの女とスカルの井戸で出会った時のエピソードです。元々は同じ祖先のイスラエル人だったユダヤ人とサマリヤ人でしたが、それぞれの姿勢を批判し、お互いに交わりを持たず、会話さえしませんでした。サマリヤの女には、井戸に座って「水をください」と言われたイエス様が、ユダヤ人であることがすぐにわかりま、した。一方イエス様は、単なる喉を潤す水ではなく、わたしが与える特別な水を飲むと、決して渇くことはありませんと語り、彼女に霊的な個人伝道を展開していきます。今日のエピソードの中で、イエス様がサマリヤの女に語られたお言葉を、私たちを励ます神のお言葉として癒しも含めた恵みをいただきましょう。

1.  水や食料を超えるもっと大事なもの!

 一週間の始まりの日に教会で神様に礼拝を捧げるのは、そこに、単なる生命維持のための水や食料を超える、さらに大切なものが存在するからです。目には見えなくても神の愛、永遠のいのち、この世のものとは違う、より深い霊的な恵みがあることをはっきりと知らなければなりません。

2. 救い主キリストが与えることのできる“水”!

 “水”は、いのちを保つためには絶対必要なものです。しかし、イエス様の与える水は、救い主イエス様にしか与えることのできない水であり、いのちに関わる特別な水であることを忘れてはなりません。

3.私たちの内側を“泉”へと変える奇跡!

 イエス様が与える“水”を飲むと、私たちの心の奥底から生ける水の川が流れ出るようになります。私たちの心が泉となり、清いいのちの水が流れ出るようになります。神のいのちの水を生み出す泉に変えられるのです。私たちの心が、悪いもの(人に対する恨み、憎しみ、消えない怒り)をため込む廃品処理場のようになってはいないでしょうか。イエス様を信じ受け入れると、イエス様が与える水をいただき、汚いものをため込んでいた心が、清らかな新鮮ないのちの水が湧き上がる泉となっていきます。

4.永遠の“いのち”へのつながりと希望!

 たとえ肉体は滅びても魂や霊は生きて、天国での永遠のいのちが約束されています。いのちの水の川を与えてくださった主は、私たちが病んでいるとき、病をいやし、救い、解放し、希望をくださいます。肉体を維持する水を飲み、食料を食べ、与えられた寿命を精一杯生き抜くだけでなく、主が約束された永遠のいのちをいただこうではありませんか。

 

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