神の御心を行う者となろう

使徒の働き10章34節~36節、44節~48節

…マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。ところが、…ユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」しかしこう言ったのは、…彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。イエスは言われた。「…マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。…


今日の礼拝で、イエス様のいのちに触れ、励まされ、御言葉によって引き上げられ、霊的な解放と、主が持っておられる豊かな恵みをいただいて、私たちの日々の歩みを強めていただきましょう。

私たちがクリスチャンとして歩むとき、私たちの心の中はいつも、いのちの喜び、感謝が与えられて、愛、いのち、恵みにふさわしい心の状態に守られています。

仕事や人間関係でうまくいかなかったとしても、この礼拝の中で主キリストが与えてくださるいのちの喜び、主の御業に対する感謝で満たされ、私たちの心を整え直していただきましょう。

私たちは弱くてつまずきやすい者ですが、イエス様は悩んでいる人、疲れている人は、わたしのもとに来てあなたがたの重荷を下ろしなさいとおっしゃっています。私たちの重荷をイエス様にお委ねし、喜びや感謝や賛美で満たしていただきましょう。

今日の聖書の箇所は、ベタニヤのマリヤがイエス様の足に香油を注いだ出来事について記されています。今日はその中で、もう一人の登場人物であるイスカリオテのユダの心に注目し、神様に祝福される心の持ち方や生きざまを考えながら、この物語を味わっていきましょう。

1.人への批判や文句だけで終わらない! 人の行動をほめよう!感謝しよう!

マリヤが香油を注いだ時に、ユダは心の中で文句を言いました(5節)。マリヤが注いだ香油は300デナリの価値がありました。1デナリが大人一人の一日分の労賃に値します。

ユダはそれを見て、貧しい人に施すべきだとマリヤの行動を批判したのです。しかし、彼は貧乏人への憐れみがあったわけではありません。彼の批判は「もったいない」という思いから出ていました。

口には出さなくても、私たちも心の中で批判や文句を言うことがあります。しかし、神様の前に意味のない文句はやめましょう。

私たち人間がこの2000年間で得た知識や知恵を、批判や文句に使うことがありませんように。それは誰も幸せにしません。

もしその場に居合わせたなら、私たちがするべきことは、その人の行為を思い切りほめて感謝することです。必要以上に誰かを批判し、文句を言う度に、私たちの心はどんどん神様の恵みから遠ざかってしまいます。気をつけましょう。

2. 結局、何もしないで終わることはやめよう!今すぐにでもできることから行動しよう!

ユダはマリヤを批判するだけで、自分は何も行動しませんでした。私たちはそんなユダに倣う者ではなく、心に与えられた良い思いがあるなら、今すぐにでもできるところから行動する者になりたいと思います。

完璧にはできないかもしれません。しかし、今すぐにできることは必ずあります。

この物語の中で、マリヤの行動を一番理解されていたのは、ほかでもないイエス様でした。イエス様は、マリヤが自分の宝物をささげたことに対して、マリヤ自身が考えもしなかったイエス様の葬りの準備という重く深い意味をもって、マリヤの行動に意味付けをしてくださいました。

何もしないで終わる虚しい生き方ではなく、今すぐにでもできることから行動する生き方を目指しましょう。いよいよクリスチャンとして祝福された歩みをする者となりましょう。

3.惜しみなく聖霊を注いでくださる神!

神は私たちに良い物を与えてくださるのです。神は私たちに聖霊を豊かに注いでくださいます。聖霊とは、神の霊ですから、神の恵みの中でも特筆すべき「特別な恵み」です。あなたは他人と比較し、自分の信仰生活が弱々しく感じられることもあるかもしれません。しかし、主は「あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と語られます。「主の名を呼ぶ者は、みな救われる」のです。誰でも恵みを豊かに受けることができる、そんな恵みの神様がおられることを心から感謝しましょう!

4. 私たちの信仰に答えてくださる神様

「彼らが叫ぶと、主は聞いてくださる。そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される(17節)」とダビデは、すべての苦しみから救い出される神様を賛美しています。

(へりくだ)って祈り求めるならば、主は必ず祈りに答え、恵みをお与えくださいます。そして、「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる(18節)」と、私たちに祈りの姿勢を教えています。

この礼拝の中で、シンプルに信じて、癒しを求めましょう。主の前に遜り、恵みをいただきましょう。とことん祈って元気になって、主をほめたたえ、証しし、恵みの震源地とならせていただきましょう。周りの人々を潤す者、神様に喜ばれる者へと成長してまいりましょう。

以上の4つの選択で私たちはクリスチャンとしての信仰を選び取りたいと思います。この一年、私たちが「恵みの震源地」となるために、「私と私の家族は、主に仕える」と告白し、主の恵みを選び取って歩んで行く者となりましょう。

5.イエス・キリストというお方―主キリストの存在!

私たちの求める救いは、どこにあるかわからない宝探しのようなものではなく、明確な場所があります。それは主イエス・キリストと共にあるのです。

6.お生まれになった―人生の歩みの中での事実!

救い主は人類歴史の中の事実となりました。イエス様は私の人生の歩みの中で事実となってくださるのです。

7.みどりごを見い出す―出会うことのできる主!

イエス様は探し求めれば出会うことのできる救い主です。永遠のいのちを証明された方が世の終わりまで私たちと共におられます。2000年前の救いと恵みの保証は今も変わりません。そのことを覚え、このクリスマス、感謝して歩んでまいりましょう。

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