喜びをもって主に叫び祈ろう
詩篇34篇1節~22節
…私の口には、いつも、主への賛美がある。私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。…私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。…主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。…主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。…あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。…主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。……主に身を避ける者は、だれも罪に定められない。
詩篇150篇の中でも、個人的には、この34篇、ダビデが悔い改めの時に祈った51篇、そして、103篇が好きな詩篇として思い浮かびます。
34篇には、「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ」とあります。主にある喜びや力、恵みが注がれる時、私たちの心の内側から賛美が湧いてきます。
ダビデは、恵みをくださる主を喜び、溢れる恵みを高らかに歌っています。まさに恵みの震源地となり、周りの人々を潤しています。
今日の癒しの礼拝、祈りの拠り所として34篇を味わっていきたいと思います。
1.悩む者、苦しむ者の助けである神
私たちは癒しを求めて、この癒しの礼拝に集まりましたが、癒しはどこから来るのでしょうか? それは、私たちの宗教的な悟りや、精神修養では得られません。癒しは神様から与えられることをはっきり知ってください。
4~7節には、主を求めると、主は答えてくだり、悩む者が呼ばわるなら、主は聞かれ、主を恐れる者の回りに陣を張って助け出される、とあるように、主は私たちを助け、救い、守る神様としてご自分を表しておられることを喜び、感謝しましょう。
2. 実体験すべき神の恵み
8節に、「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ」とあります。主の恵みや癒しは、実体験できると言うのです。若いライオンが飢えることがあっても、主を慕い求める者は、決して飢えることがありません。主は必要なものを備えてくださいます。
主は病から解放し、立ち上がらせてくださいます。それを実体験してまいりましょう。
3.神の恵みにふさわしい生き方
真の神様はご利益信仰で働く神様ではありません。神の恵みをいただくには、神様の目にふさわしい者として生きる必要があります。
まず、神様の目の前に立つことができる信仰者になりましょう。
ダビデは「いのちを喜びとし、しあわせを見ようと、日数の多いのを愛する人は、だれか」と語り、ご利益主義の信仰をやめなさいと言っています。「あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。悪を離れ、善を行なえ。平和を求め、それを追い求めよ」と語り、あなたの言葉が嘘を言ったり、人を蔑んだり、人を攻撃したり、神様に喜ばれない言葉を語ってはいけない、と語っています。
信仰者としての生き方を整え、主に喜ばれる者となりましょう。
4. 私たちの信仰に答えてくださる神様
「彼らが叫ぶと、主は聞いてくださる。そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される(17節)」とダビデは、すべての苦しみから救い出される神様を賛美しています。
遜って祈り求めるならば、主は必ず祈りに答え、恵みをお与えくださいます。そして、「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる(18節)」と、私たちに祈りの姿勢を教えています。
この礼拝の中で、シンプルに信じて、癒しを求めましょう。主の前に遜り、恵みをいただきましょう。とことん祈って元気になって、主をほめたたえ、証しし、恵みの震源地とならせていただきましょう。周りの人々を潤す者、神様に喜ばれる者へと成長してまいりましょう。
以上の4つの選択で私たちはクリスチャンとしての信仰を選び取りたいと思います。この一年、私たちが「恵みの震源地」となるために、「私と私の家族は、主に仕える」と告白し、主の恵みを選び取って歩んで行く者となりましょう。
5.イエス・キリストというお方―主キリストの存在!
私たちの求める救いは、どこにあるかわからない宝探しのようなものではなく、明確な場所があります。それは主イエス・キリストと共にあるのです。
6.お生まれになった―人生の歩みの中での事実!
救い主は人類歴史の中の事実となりました。イエス様は私の人生の歩みの中で事実となってくださるのです。
7.みどりごを見い出す―出会うことのできる主!
イエス様は探し求めれば出会うことのできる救い主です。永遠のいのちを証明された方が世の終わりまで私たちと共におられます。2000年前の救いと恵みの保証は今も変わりません。そのことを覚え、このクリスマス、感謝して歩んでまいりましょう。