恵みのあふれる者となるために
ヨハネの福音書7章37節~39節
さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。
2月の最初の日曜日に私たちは礼拝と聖餐の恵みにあずかることができることを感謝したいと思います。聖餐式で頂くパンはキリストの体そのものであり、また、ぶどう酒はキリストの血です。私たちは今日の聖餐の恵みにあずかる時、イエス様の命にあずかり、恵みを頂き、春に向けて歩んでまいりたいと思います。私は3月15日から8日間、四国の教会を巡回し、伝道集会や路傍伝道などを行う予定です。皆様もお祈りに覚えていただけたらと思います。
今日の聖書箇所は新年礼拝で今年のテーマ「恵みの震源地」の御言葉として語られた箇所です。私たちが恵みの震源地となるために私たち自身が恵みを受ける必要があります。神様からの恵みが豊かに注がれて、私たち自身が恵みで満たされて、私たちが恵みにあふれる者とされたいと願います。 この物語は仮庵の祭りが背景にあります。その祭りの時は、シロアムの池からエルサレムの神殿に黄金の器で水を運んできて、生贄の供え物と一緒に水を祭壇に注ぐ、という風習が行われていました。イエス様はその水を見ながら感じることがあったのでしょう。大声で叫んで、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい…」と言われたのでした。私たちはこの箇所から、恵みにあふれる者とされるための3つのポイントを確認したいと思います。
1.渇きに渇いた空っぽの心!
私たちの心が渇いて空っぽであることが神様に恵みを注いでいただくために大切であることを心に留めたいと思います。渇いているから欲し、求めることができるのです。渇いた心にイエス様は恵みを注ぎ、恵みをあふれるほどに満たしてくださいます。イエス様が与える水を飲む者は決して渇くことがなく、あなたがたのうちで泉となって湧き出るようになると約束されています。私たちは世の水で一時的に渇きを癒されて生きるのではなく、神様から恵みをたくさん注いでいただいて歩む者となりましょう。
2. イエス様のもとに来るという行動!
イエス様は、わたしのもとに来て飲みなさいと「大声」で語ります。ほかの訳の聖書は「叫んで」とあります。これはイエス様の魂の招きなのです。イザヤ書55章1節~3節には「…代価を払わないで穀物とぶどう酒を買え…」とあります。命にあずかり、罪の赦しによる救いの喜びに満たしていただくのです。それは神様からの一方的な恵みであり、その恵みはお金で買うことができないのです。その恵みを頂くためにはイエス様のもとに来なければ始まらないのです。具体的には教会に来ること、そのことを大切に励みたいと思います。
3.イエス様をキリストと信じる信仰!
「栄光を受ける」とはイエス・キリストの十字架を意味する言葉として取り扱われています。イエス様はご自身の十字架を指して今こそ栄光を受けると語りました。十字架はヨハネの福音書において神様の恵みの御業、その最高潮であり、まさに栄光の時なのであります。その十字架の上で私たちの身代わりとなって死んでくださり、裂かれた体と流された血を、私たちは聖餐において体験します。聖餐式を通して、イエス様がキリスト(救い主)であるということを、信仰をもって受けとめようではありませんか。
4. 先延ばしの決断? それとも人生を貫く決断?
大切なことにもかかわらず、決断せずに先延ばしにし、幸せになるカギを見失うことがないようにしましょう。
今日、人生を貫く決断をしましょう。
神様が私たちと向き合ってくださるのは「今」なのです。あなたはそれにちゃんと答えているでしょうか。
ヘブル人への手紙3章においても、「『きょう』と言われている間に」「きょう、もし御声を聞くならば」と、神様から「今日」というチャンスを与えられている間に、恵みに立ち返ることが必要だと語られています。
以上の4つの選択で私たちはクリスチャンとしての信仰を選び取りたいと思います。この一年、私たちが「恵みの震源地」となるために、「私と私の家族は、主に仕える」と告白し、主の恵みを選び取って歩んで行く者となりましょう。
5.イエス・キリストというお方―主キリストの存在!
私たちの求める救いは、どこにあるかわからない宝探しのようなものではなく、明確な場所があります。それは主イエス・キリストと共にあるのです。
6.お生まれになった―人生の歩みの中での事実!
救い主は人類歴史の中の事実となりました。イエス様は私の人生の歩みの中で事実となってくださるのです。
7.みどりごを見い出す―出会うことのできる主!
イエス様は探し求めれば出会うことのできる救い主です。永遠のいのちを証明された方が世の終わりまで私たちと共におられます。2000年前の救いと恵みの保証は今も変わりません。そのことを覚え、このクリスマス、感謝して歩んでまいりましょう。