神の指
ヨハネの福音書 8章1~11節
…律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕えられたひとりの女を連れて来て…イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。…あなたは何と言われますか。」…イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。…イエスは…言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」…彼らは…年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。…イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」
私が大学生の頃、信仰と救いに導かれる大きなきっかけとなった、素晴らしい聖書の箇所、ヨハネの福音書8章の「姦淫の女」の物語から、「神の指」と題し、4つのポイントで、神の御言葉を、私たちの心の板に書き記し、刻み付けられたいと願います。
1.指で地面に書き続ける主
石打ちにされて処刑されるべき姦淫の罪を犯した女に「あなたは何と言われますか」と人々が問いつめる中で、イエス様は黙って地面に何かを指で書いておられました。何を書いていたのかは分かりません。ただ、「ロゴス(言葉)」そのものであるイエス様が書かれたは、間違いなく、神の言葉でしょう。そして、神の言葉を書き記すイエス様の指に、人々は、石の板に神の言葉、十戒を記した神の指を見たのかもしれません。エレミヤ書31章に、モーセの律法は石に書かれ、人々はそれを守れず、古い契約は破られたが、新しい契約は人の心に記されると預言されています。イエス様は、罪の赦しと救いをもたらす新しい契約をこの地に書き記すために来られた方です。地面に書かれても、風や雨や足で踏まれてすぐ消えてしまうように、消えやすい、忘れやすい人の心に、主は救いの言葉を記されたのです。それは消え去ることなく、人々の心に残り、二千年にわたり、今朝も私たちはその言葉を聞いているのです。
イエス様の3つの言葉に注目し、私たちの心の板に神の指で刻み付けていただきましょう。
2.罪のない者だけが石を投げよ
人の罪をさばく石を投げる資格のあるのは、罪のない人だけです。自分にも罪があるなら、自分自身もさばかれることになるからです。しかし、義人はいない、罪のない人はいないのです。あなたの内に本当に罪はないのですか、と主は問われるのです。人々は裁きの石を手放し、赦しを選び取り、みんなその場を立ち去って行ったのです。
3.わたしもあなたを罪に定めない
ただ一人、罪のない方、さばく権威をお持ちの方が「わたしもあなたを罪に定めない」と言ってくださるのです。石打ちにされるはずの姦淫の女を、主は見捨てることなく、そばにいてかばってくださいました。そして、主は、十字架にかかり、私たちに投げつけられるはずの罪のさばきの石を身代わりに全部受けてくださったのです。そして、さばきの石を投げつけられて滅びるはずの罪人の私たちにも言われるのです。「わたしもあなたを罪に定めない」と!
4.もう罪を犯さないように!
姦淫の女に対して、世の人々は、今赦されても、また罪を犯すに決まっていると見ていたでしょう。彼女自身も、二度と罪を犯さないで生きる自信などなかったでしょう。しかし、ただ一人、彼女を信頼し、私たちを信頼し、「今からは決して罪を犯してはなりません」と語ってくださる方がおられるのです。私たちを造り変え、もう罪の道を歩む必要などない、ほんとうの幸せの道を一緒に歩んでくださるのです。
神の指で、私たちの心に御言葉が刻まれますように!「罪のない者だけが石を投げよ!(さばきの石を手放せ!)」、「わたしもあなたを罪に定めない!(あなたの罪は赦された!)」、「もう罪を犯さないように!(あなたはもう罪の道を歩む必要はない!)」。