主キリストの最大限の恵み
…そこに、右手のなえた人がいた。そこで律法学者、パリサイ人たちは、イエスが安息日に人を直すかどうか、じっと見ていた。彼を訴える口実を見つけるためであった。…イエスは人々に言われた。「あなたがたに聞きますが、安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか、どうですか。」そして、みなの者を見回してから、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。そのとおりにすると、彼の手は元どおりになった。…
先週は2つの大きな恵みがありました。4月29日のバザーでは皆さんが主の御前に思いっきり奉仕し、兄弟姉妹たちと交わりを深め、バザーを通して友人知人に証しし、伝道のための献金を生みだすことを意識してご奉仕くださり、心から感謝いたします。天候にも恵まれ、来場された方も多く、大変恵まれました。それから、5月3日には「愛と希望の祭典・四国」のプレ大会を開催することができ、大変祝福されたことを感謝します。四国中から牧師先生や兄弟姉妹350名ほどが愛媛県県民文化会館に集まりました。イエス様が今も人々の魂を救い、新しい喜びと平安、救いの感動に満ち溢れる人生を与えてくださることを一人でも多くの人々にお伝えしていくためのスタートとなる大会になりました。2026年に開催される本大会のために、参加された皆さんと祈ることができたこと、イエス様によって結び合わせられ、教会間や教団、教派の壁を超えて四国中の教会の皆さんと一つのキリストの身体を作り上げることができて感謝します。2026年5月4、5日の大会の成功と共に、四国の諸教会を豊かに祝福してくださることを確信し祈ってまいりましょう。私たちが忘れてはならないのは、聖書が宣言する通りに主は今も生きて働かれるということです。信仰の真髄の3つのポイントを押さえておきたいと思います。
1.私たちの常識の枠で主キリストを縛らないこと!
パリサイ人や律法学者たちは旧約聖書の専門家でした。彼らにとって安息日は仕事を休んで神様を礼拝するための日であり、安息日に癒しを行うことは、仕事をすることと同じで律法に違反すると考えていました。そこで、イエス様が片手のなえた人を癒されたとき、彼らは分別を失い、憤りました。そこには神の御子であり、癒し主であるイエス・キリストがおられたのに、彼らは癒しの御業を受け入れることができなかったのです。人間の常識やルールでイエス様を縛り付けないようにしましょう。
2.私たちの過去の体験で、主キリストを拒否しないこと!
5章の39節には「古いものは良い」とあります。熟成しておいしくなった古いぶどう酒を飲んだ後、満足し、新しい恵みを求めようとしないことは、今も生きて働かれるイエス様が目の前におられるのに、癒しや新しい恵みを求めようとしないことと同じであり、もったいないのです。律法学者たちは、過去の体験に埋没して、新しい命の恵みを持っておられるイエス様を拒否したのでした。イエス様が働かれるとき、それはどんなに古くて価値あるものにも勝ることを忘れてはならないのです。
3.私たちの心を大きく開いて、主キリストの最大限の恵みをいただこう!
主が今ここにおられて私たちのために今日も働いてくださっていることを感謝し、恵みを受け取る者でありたいと思います。バザーにおいてもプレ大会においても、主は私たちの祈りに応えてくださったではありませんか。主の恵みは朝毎に新しく、最高の恵みを与えてくださるのです。主からの恵みは私たちの限界や弱さ、足りなさを一気に補い、祝福し、強め、私たちの人生を輝かせるものであることを今週も体験してまいりましょう。
4.“教会”として存在している私たち!
ヘブル人への手紙10章24節~25節には、集まることをやめないで、かえって励まし合いなさいとあります。私たちも、集まることをやめずに、教会としての活動を盛り上げ続けようではありませんか。そこには信仰による愛や善行があります。人々を幸せにする素晴らしい行動を起こしていきましょう。教会から離れる人々がいる中で、信徒たちは集まることをやめなかったのです。だからこそ、2000年たった今でも教会が存続し、私たちも活動することができているのです。そのことを感謝したいと思います。
5.イエス・キリストというお方―主キリストの存在!
私たちの求める救いは、どこにあるかわからない宝探しのようなものではなく、明確な場所があります。それは主イエス・キリストと共にあるのです。
6.お生まれになった―人生の歩みの中での事実!
救い主は人類歴史の中の事実となりました。イエス様は私の人生の歩みの中で事実となってくださるのです。
7.みどりごを見い出す―出会うことのできる主!
イエス様は探し求めれば出会うことのできる救い主です。永遠のいのちを証明された方が世の終わりまで私たちと共におられます。2000年前の救いと恵みの保証は今も変わりません。そのことを覚え、このクリスマス、感謝して歩んでまいりましょう。