“ことば”なる神の到来の恵み
ヨハネの福音書1章1節~5節、9節~13節、14節、16節~18節
初めに、ことばがあった。…この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
…この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
…ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。…この方は恵みとまことに満ちておられた。 …私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである…
クリスマスとは「キリスト祭り」、イエス・キリストの誕生をお祝いし、特別に礼拝する時です。実は、もともと12月25日は他のお祭りが行われていました。当時のローマ帝国においては、その日は冬至で、一年で最も闇の長い日でした。人々は、闇を嫌い、太陽の神や偶像を拝む祭りを行っていたのです。そこでクリスチャンたちは、救い主イエス様がこの地上にお生まれになったことをお祝いしようということで、この12月25日をキリストの誕生をお祝いする日として定めたのでした。それからおよそ2000年間続いていることを感謝しましょう。そして、クリスマスは私たちにとって本当に喜び溢れるキリストのお祝いであることを改めて受け止めましょう。今日お開きした4つの聖書箇所から、私たちがお祝いするイエス様とはどんなお方であるかを確認したいと思います。
1. 人の光である“ことば”なる神!
「初めにことばがあった」(1節)。ことばはギリシャ語でロゴスと言い、知恵や真理、物事の本質を指します。いのちのことばです。ことばなるお方は、この世が存在する前から存在し、神と共にあり、すべての物がこの方によって造られた。そして、それはいのちであり、光であると記されています。“神のことば”は遠すぎてわからないものではなく人間が聞くことができる言葉として、私たちのためのいのち、光となってくださると聖書は教えています。このお方と向き合うならば、人生の意味や宇宙の成り立ちや、世界のすべてのことにまで理解が及ぶ知識を得、そして、このことばなる神様を受け入れるならば、私たちは祝福されるのです。
2. 信じる人々を神の子どもとさせる“ことば”なる神
12節に「この方を受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には神の子どもとされる特権をお与えになった」とあります。天地宇宙を造られた、いのち、光の根源であることばなる神様が、自ら私たちのところに来てくださった、そのことを信じるならば、私たちは神の子どもとされる。そんな特別な恵みが約束されているのです。
3. この世に人として現われた“ことば”なる神
14節に「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」とあります。これが今日のメッセージの中心であり、聖書の語る神様についての最大の証言です。このお方こそが永遠の真実なハイブリット(異質なものが一つにされている)なるお方です。神であるのに人となられ、ご自身において神の恵みの世界を、この罪深い人間の世界に引き寄せてくださった救い主なのです。クリスマスは神が人としてお生まれになったことをお祝いする日なのです。
4. “ことば”なる神の証人である私たち!!
この世に下り、人となられたイエス様は、罪がないにもかかわらず十字架で死なれ、私たちは罪赦され、天国への道が開かれました。このお方を信じ、私たちは変えられたのです。どれほど素晴らしい恵みに満ちていることでしょう。イエス様は、迷える者を見つけ出し、失われている者を取り戻すために来られました。このイエス様の愛を、皆さんにお伝えいたしましょう。このアドベントのシーズン、イエス様を生き生きと証しする者でありたいと願います。
教会は一つ心です。共に祈り、賛美し、奉仕しながら活動するのです。私たちは、一つ心で、キリストの体として、頭であるキリストに従って行く者でありたいと思います。
5. 捧げ物で支えられた活動!
45節に「必要に応じて、みなに分配していた」とあるように、彼らは教会や貧しい人のために捧げることを躊躇しませんでした。
パウロが世界宣教に行く時に、アンテオケの教会が捧げたように、福音を宣べ伝えるため、弱い人を支援するために捧げたのです。
信仰は心の中の理想論ではなく現実です。実際の社会の中で生きて働く信仰の現れが教会です。この教会を共に支えていけることを感謝します。
5つの柱を生活の基本とし、シンプルなクリスチャンライフを復活させ、恵まれてまいりましょう。