主の御言葉に従い行動することの幸い

ルカの福音書5章1節~11節

…イエスはすわって、舟から群衆を教えられた。話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。…「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。…イエスはシモンにこう言われた。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。


9月の後半になりました。命を与える神があなたのために恵みを用意してくださっています。素晴らしい「新時代」を意識して、9月後半、秋の日々を歩み続けてまいりましょう! 信仰歴を何十年と重ねても、私たちの信仰が古びてしまわないように。はじめの愛に立ち帰り、聖霊が働く素晴らしい恵みをいただきながら、期待して歩む者でありたいと思います。

今日の聖書箇所には、ペテロが初めてイエスと出会った時の物語が記されています。朝方、イエスはペテロの舟に乗り、岸辺の群衆たちに向けて神の国の教えを語りました。その後、イエスはペテロに対して「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われました。ペテロは夜通し働き、一匹も魚を捕ることができませんでしたが、「でもおことばどおり、網をおろしてみましょう」とイエスの言葉に従いました。すると、網をおろしてみるやいなや、舟が沈みそうになるほどの大量の魚が網にかかったのです。 ペテロはこの体験をきっかけにイエスの弟子となり、使徒ペテロとして神の恵みの人生を歩むようになっていくのでした。この物語から二つのポイントを分かち合いたいと思います。第一に、神の望みは何か。第二に、聖徒の受け継ぐ霊的遺産は永遠のいのちであること。第三に、神の優れた力を知ること。聖書の「知る」は知識ではなく、体験的に知ること、わかるということです。

1.主キリストからのシンプルな促しを大切に受け止めよう

私たちが信じる神は、生きて働かれ、力強い意志をお持ちで、私たちに語りかけてくださる神です。ということは、あなたがジタバタして、神様にアドバイスを求めたり、何か願い事をする前に、すでにイエスのほうからあなたに語りかけている可能性が非常に高いのです。救い主の言葉をしっかり受け止めましょう!

イエスは、魚が一匹もとれず、くさりかけ、疲れ果てていたペテロに対して、特別な恵みを用意していました。あえてシンプルに、「深みに漕ぎ出し、もう一度網をおろして魚をとりなさい」と言われたのです。同じように、主キリストはあなたのために、御言葉を語ってくださっているのです。

2.主キリストの御言葉に立って本気で行動してみよう!

プロの漁師であったペテロには、イエスの促しを断る理由はたくさんあったはずです。夜通し働いてもなんの成果もなく、疲労も溜まっていたことでしょう。けれど、彼はイエスのお言葉に従いました。その瞬間、奇跡が起きたのです。私たちにも、神から促されて、それに従わない理由はいくらでもあるでしょう。けれども、「神からお声かけをいただいたら、ぜひ行動しよう!」と肝に刻みつけたいと思います。聖書は、神の言葉であり、その神の言葉によって天地宇宙は創られたのです。神から出る言葉は必ず実現するのです! ペテロは無学なただ人でした。しかし、幸いなことに、彼には、イエスのお言葉は普通の言葉とは違う、ということを察知することができたのです。イエスのお言葉には、凄まじい力と恵みが伴っています。私たちはそれを受け止め損なうことがないようにしましょう。

あなたは、日々の生活やこの礼拝の中でも、すでに神様から語られていることがあるのではありませんか? この9月後半から秋の日々にかけて、私たちは主キリストからのシンプルな促しを大切に受け止め、本気で実行する者になりましょう。

3.神からの偉大な力を知っているか?

主イエス様を信じることにより、日々の生活の中に神様の全能の力によって働く偉大な力を体験することができます。

イエス様はしばしば病気の人を癒し、神の偉大な力を証明されました。このイエス様を信じることにより、神からの優れた力が与えられる私たちは、人の力で動く世界だけではなく、神様から発せられるすさまじい、偉大な力を体験することができるのです。

パウロは、神を信じる者たちの霊の目がはっきりと開かれて、偉大な神の力を体験できるようにと祈ったのです。偉大な力が与えられている約束を覚えて、今週もそれを体験してまいりましょう。

4.教会に属する人々の交わりのしるし!

聖餐式が守られ、そこに主にある兄弟姉妹の交わりがあったのです。

イエス・キリストの愛に溢れるこの式典が、私たちを結びつけていたのです。

5.しるしと不思議、力ある業がもたらすきっかけ!

43節には、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われたとあります。聖餐式を通して力ある業が起こったのです。

主キリストを信じる者たちが、聖餐式において一つに結び合わされ、交わりをし、互いに祈り合う時に、病は癒されるのです。不可能なことは一つもないと言われる神の恵みが具体化されるのです。

聖餐式にあたり、しるし、不思議、力ある業が起こる恵みがあることを感謝しましょう。

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