私たちが体験すべき神の偉大な力

エペソ人への手紙1章15節~19節

…私は主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞いて、あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。どうか、…栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、…私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。


新しい1週間、礼拝をもって始めることができる恵みを感謝します。神様を第一として信仰をもって心を開く時、神様の持っている様々な力が働いて私たちに必要な恵みや癒しが与えられます。

昨日終了したパラリンピックをテレビで観ていて、神様が人間である私たちに与えてくださった能力は底知れない可能性を秘めているのだと感動し、私たちは人生において簡単に不平不満や愚痴をこぼすべきではないと思わされました。

そして、メダル獲得のために高い目標を掲げて厳しい練習をする姿を見て、私たちクリスチャンこそ、どのような状況にあっても、上にあるもの、神様を見上げて前進することを選択していかなければならないと強く感じました。

今日は癒しの礼拝ですが、聖書が語る癒しとは、人間的な努力や知恵ではなく、100%神様からのものです。今日の聖書箇所で、パウロは神を知る知恵が与えられるようにと言っていますが、何を知り、何を求めて上を見上げるのか。

第一に、神の望みは何か。第二に、聖徒の受け継ぐ霊的遺産は永遠のいのちであること。第三に、神の優れた力を知ること。聖書の「知る」は知識ではなく、体験的に知ること、わかるということです。

1.神からの救いの道は示されているか?

教会に来ることや良い人になること、讃美歌や祈りで心穏やかに生活することは、クリスチャンとして受ける恵みの一部ですが、核心ではありません。救いの道がはっきりとわかっていることが重要です。

人間は、自分の力で神を知ることはできません。神様の愛により引き寄せられ召されなければ、自分よりはるかに偉大な神を知ることはできないのです。

そして、イエス様の清さといのち、十字架と復活によって、私たちは罪深いままで清さといのちを与えられ、信じる者は神の子どもとされて、救いの恵みを頂けるのです。苦難の中でも決して望みを失うことなく、必ず救われる希望があることを知りましょう。

2.人生の先に永遠のいのちが待っているか?

私たちの人生の時間には限りがあり、年齢を重ねるごとに、死についてより明確に考えるようになります。自らの死を考えるだけでなく、死の向こう側にある、受け継ぐべき恵みを知っているかが重要です。

この地上を離れる時が人生の最後ではなく、死を越えた向こう側の天国に、永遠のいのちが備えられ、そこで主と愛する者たちともう一度出会うことができる。この永遠のいのちを持っていると、この世での生き方が大きく変わり、腹の座った揺るがない人生を送ることができます。

3.神からの偉大な力を知っているか?

主イエス様を信じることにより、日々の生活の中に神様の全能の力によって働く偉大な力を体験することができます。

イエス様はしばしば病気の人を癒し、神の偉大な力を証明されました。このイエス様を信じることにより、神からの優れた力が与えられる私たちは、人の力で動く世界だけではなく、神様から発せられるすさまじい、偉大な力を体験することができるのです。

パウロは、神を信じる者たちの霊の目がはっきりと開かれて、偉大な神の力を体験できるようにと祈ったのです。偉大な力が与えられている約束を覚えて、今週もそれを体験してまいりましょう。

4.教会に属する人々の交わりのしるし!

聖餐式が守られ、そこに主にある兄弟姉妹の交わりがあったのです。

イエス・キリストの愛に溢れるこの式典が、私たちを結びつけていたのです。

5.しるしと不思議、力ある業がもたらすきっかけ!

43節には、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われたとあります。聖餐式を通して力ある業が起こったのです。

主キリストを信じる者たちが、聖餐式において一つに結び合わされ、交わりをし、互いに祈り合う時に、病は癒されるのです。不可能なことは一つもないと言われる神の恵みが具体化されるのです。

聖餐式にあたり、しるし、不思議、力ある業が起こる恵みがあることを感謝しましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA