主キリストが与えてくださる永遠のいのち

ヨハネの福音書6章38節~40節

わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行なうためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行なうためです。わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」


今日の記念会の礼拝で私たちは天に召された信仰の先輩方から愛され祈られ支えられていたことを改めて思い起こし、主に感謝したいと思います。

私たちの愛する人々は今、神のもとで永遠のいのちの中にいると、あなたははっきり語ることができますか。また、私たち自身が死んだ後はどうなりますか。聖書が約束しているように神を信じる者として永遠のいのちを受け、神のもとで生きることができると信じることができますか。

今、この世では瞬間ばかりを楽しむ風潮が強くありますが、私たちの人生の全体像を知ろうと考えることや必ず訪れる死について、そして、死の向こう側に何があるかを知っていますか。私たちの人生には限りがあります。この世を離れる時に、死の向こう側のことを知っていて、それに対する備えがあるかないかでは大きく異なるのです。

地上でのこの肉の身体を脱ぎ捨てる時、私たちの魂がどこへ向かうのかが非常に重要だと聖書は語ります。人生の長さは様々ですが、私たちの魂が神の救いによって死後も神のもとにあり、永遠のいのちを得ているという平安を頂きたいのです。いのちについて大切なことを胸に刻みつけておきたいと思います。

1.主キリストの使命…父なる神のみこころを行うこと!

イエス様は、単に素晴らしい方、聖人であったということではなく、この地上において父なる神様の御心を行おうとされたことを知ってください。

イエス様は、父なる神が私たちのために求めておられたことを成し遂げてくださったお方なのです。私たちが救われ、癒され、解放されるためにイエス様は父なる神の使命を受け、十字架の死によってそれを実現するために、この世に来てくださったのです。そのイエス様がここにおられるのです。

2.父のみこころ…すべての人が死後のいのちを持つこと!

父の御心とは、すべての人が死んでも永遠のいのちを持つことができるようになることです。

今日、私たちは、キリストを信じて天に召された人々が今も天国で主のもとで永遠に生き、そして、この地上の私たちと今も繋がっていることを覚えるために集いました。神を信じる私たちは滅びず、失われず、死後のいのちが保証されるのです。

2千年経ってもなお、イエス様の教えが残り続けているのは、死を超えるいのち、永遠のいのちの約束を、教会が語り続けたからです。

3.あなたの持つべきもの…永遠のいのちを手に入れた人生!

愛する人々を天に送りました。残されたあなたはどうでしょう。永遠のいのちの保証を頂くことができるようにと願います。この永遠のいのちを頂いて歩んでいこうではありませんか。

どんなに快適な世の中になっても人生には限りがあります。死んだ後のことを備える必要があります。

教会では永遠のいのちについて語られていることを忘れないでください。教会には、魂の救い主であるイエス・キリストがいます。ここであなたも永遠のいのちをご用意ください。

私たちの人生には色んなことが起こりますが、日々神様に祈りながら与えられた人生を最善に生きること。そして、何よりもイエス様の救いを得て永遠のいのちを頂くことを願おうではありませんか。

4.神様により頼む(11,12節)

人の助けや救いは、はかなく空しいものです。しかし、神様の救いは、完全に私たちを救いうるものです。

詩篇60篇では、神様に愛されているという自覚のもとに、「いやしてください、救ってください、私に答えてください、助けてください」と、祈りの言葉が繰り返されています。私たちも祈り続けてまいりましょう。

今どんなに行き詰っていることがあったとしても、神様がすべてを支配してくださり、すべてを益としてくださることを信じましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA