勝利へのプロセス

詩篇60篇

…ダビデがアラム・ナハライムやアラム・ツォバと戦っていたとき、ヨアブが帰って来て、塩の谷でエドムを一万二千人打ち殺したときに 神よ。あなたは私たちを拒み、私たちを破り、怒って、私たちから顔をそむけられました。…あなたは、御民に苦難をなめさせられました。…あなたは、あなたを恐れる者のために旗を授けられました。…どうか、敵から私たちを助けてください。まことに、人の救いはむなしいものです。神によって、私たちは力ある働きをします。神こそ、私たちの敵を踏みつけられる方です。


酷暑が続いていますが、今日ここで礼拝を守れる恵みを心から感謝します。体調を崩している方もいらっしゃいますが、力強い神様の癒しを祈ります。

現在フランスのパリでは、夏のオリンピックが開催されています。出場している選手たちは全員、自国での予選を勝ち抜いて勝利という結果を得るために様々な過程、プロセスを通ってきた代表者たちです。

私たちの信仰も、納得のいく勝利の信仰生活を送らせていただきたいものです。

今日の聖書の箇所、詩篇60篇の表題には、この詩篇の背景が記されています。同じ内容がⅡサムエル記8章とⅠ歴代誌18章にも記されています。Ⅱサムエル記8章6,13,14節では、戦いでいかに苦労したかではなく、主がダビデに勝利を与えられた結果に焦点を当てていますが、詩篇60篇では、神様に拒絶され見捨てられたと思われる中(1,10節)、苦しみを乗り越えての勝利だったと書かれています。

今日は「勝利へのプロセス」を4つのポイントで押さえておきたいと思います。

1.自分自身を顧みる(1節~3節)

詩篇の作者は敵との戦いに苦しんでいる原因は、自分たちの中にあることを自覚していました。自分たちの罪や神様に対する不信仰が、神様に拒まれる結果を招いていることを認めていました。

私たちは、ことが上手くいかない理由をしばしば、世の中や他人のせいにします。時には神様の責任にすることさえあります。勝利を得るためには、自分自身を顧みて、自分の中の弱さや足りなさや罪を認めて、悔い改めなければならないのです。

2.神様を恐れ、へりくだる(4節)

神様が私たちのために授けてくださる「旗」とは、勝利のしるし、イエス・キリストの十字架のしるしです。弱く罪深い私たちのために、神様がそのひとり子を世に遣わしてくださいました。そして神の御子イエス・キリストは、私たちの罪を背負って身代わりとなり、十字架の上で死んでくださり、私たちの罪をすべて赦し、救ってくださいました。

死の力を打ち破り、私たちが死に打ち勝つ道を切り開いてくださったのです。勝利のためには、闘いの武器ではなく、イエス・キリストの十字架、御旗を高く掲げ、仰ぎ見て、神様を恐れることが大切です。

3.神様に愛されていることを忘れない(5節)

私たちがどんなに罪深くても、私たちは神様に愛されています。ダビデという名前の意味は、神に愛された者という意味です。

どんなに苦しくても、どんなに打ちのめされても、どんなに上手くいかないことがあっても、私たちは神様に愛されているということを信じる時に、勝利の道は開かれます。

4.神様により頼む(11,12節)

人の助けや救いは、はかなく空しいものです。しかし、神様の救いは、完全に私たちを救いうるものです。

詩篇60篇では、神様に愛されているという自覚のもとに、「いやしてください、救ってください、私に答えてください、助けてください」と、祈りの言葉が繰り返されています。私たちも祈り続けてまいりましょう。

今どんなに行き詰っていることがあったとしても、神様がすべてを支配してくださり、すべてを益としてくださることを信じましょう。

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