行って同じようにしなさい

ルカの福音書 10章25節~37節

…「先生。何をしたら永遠のいのちを…受けることができるでしょうか。」…『…あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』…「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。…祭司が…レビ人も…通り過ぎて行った。ところが、あるサマリヤ人が…彼を見てかわいそうに思い、…介抱してやった。…この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」


「永遠のいのちを受けるには、どうすればよいか」…重要な問いです。その答えが、有名な「よきサマリヤ人」のたとえを通して、ここに記されています。

1.愛を受け取る

カギは「愛」です。神を愛し、隣人を愛することです。もう一つのカギは、「永遠のいのちを受ける」とあるように「受け取る」ことです。

私たちが愛する前に、神がまず私たちを愛している、その愛を受け取ることです。その時、私たちは癒されます、救われます。この傷ついた旅人のように!

この世には、ニセモノの愛があふれています。

このたとえ話の強盗にも愛はあります。旅人の持っている金目の物(着物やお金)を愛して自分のものとしたいという愛です。そんなのは愛じゃない! 確かに、そうです。しかし、私たちも、自分にとって価値あるものを自分のものにしたいと願っています。

愛だと思って、かえって互いに奪い合い、傷つけ合うことがあるのです。そんな私たちを癒すのは、ホンモノの愛だけです。

「よきサマリヤ人」とも言われるこのたとえ話ですが、最初に登場するのは「ある人」、傷ついた旅人です。それが私たちの姿です。そんな私たちを癒し、救うのは、ホンモノの愛です。

祭司やレビ人が見て見ぬふりをして通り過ぎる中、サマリヤ人はどうしても見過ごすことができず、かわいそうに思い、どんな犠牲を払っても助けようとします。それはイエス様の愛の姿です。その愛を、ただ受け取ればよいのです。

愛を受け取る人は、癒しと救いを受け取るのです。永遠のいのちを受け取るのです。

2.行って同じようにしなさい

永遠のいのちを受けて生きる、それは、愛に生きることです。

しかし、なぜ私たちは愛に生きることができるのでしょうか。主がこんなにも私たちを愛してくださっているからです。

だから、「行って同じようにしなさい」。自分も同じようにしてもらったから、だから、同じようにするのです。

聖書の中の黄金律「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」(マタイ7:12)もそうです。自分にしてもらいたいことをしてもらった、だから、行って同じようにするのです。

メトロ・ワールド・チャイルドのビル・ウィルソン師もそうです。母親に捨てられた自分を、見過ごしにしないで助けてくれたクリスチャンとの出会いがあった…自分も同じようにしてもらったから、だから、同じようにする…その愛が世界中に広がって、今や40万人、50万人の子どもたちが助けられ、救われているのです。

永遠のいのちを受けて、愛と感謝に生きるキーワードはこれです。忘れないでください。

「行って同じようにしなさい」。

自分も同じようにしてもらったから、だから、同じようにするのです。

3.どうしても必要なこと

傷ついた旅人にとって、どうしても必要なことは、よきサマリヤ人との出会いでした。

私たちが永遠のいのちを受けるために、どうしても必要なことは、イエス様との出会いです。それが、私たちの人生で最高の幸せ、喜びです。

だから、私たちは祈ります、行って、私たちを通して、隣人に、多くの人々に、主が、私たちを救ってくださったのと同じことをしてくださいますように!

それが、私たちの祈りです。それが、どうしても必要なことだからです。

4.証しに関する確信

私の母はミッションスクールでイエス様を信じましたが、私の祖父はそれに激怒しました。

しばらくして、祖母が失明し、祖父は西洋医学には何でもできると信じていたのに、医者から治らないと告げられ、初めて絶望しました。

(へりくだ)って祖母を教会に連れて行き祈ってもらうと、3日後に完全に見えるようになったのです。祖父は本当に喜び、キリストこそ真の神だと信じ、福音を恥とせず熱心に証しし続けました。

悪魔に惑わされて福音を恥じるのではなく、神様がどんなに祝福してくださったかを証ししましょう。神の奇跡が起こることを体験しようではありませんか。

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