いのちの光である主キリストを受け入れよう
初めに、ことばがあった。…すべてのものは、この方によって造られた。…この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。…
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。…この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
今日からアドベントです。クリスマスの集会も、今夕の福岡での燭光礼拝から始まり、全国各地で開催されます。多くの人々が、自分の人生に共に歩んでくださる神様がおられることを見出だせるよう、伝道してまいりましょう。
先週、ガザでの戦闘再開のニュースに心を痛めました。殺し合うことは良いことでないと分かっていても、戦争を止めることができない。そこに人間の愚かさがあります。
そんな中、現地でのメトロの働きは継続され、リーダーがハマスに殺害されましたが、二人の若者がその遺志を継ぎ、「イエス・キリストこそ救い主」と信仰告白し、教会学校を開き、食料を提供し続けています。
それは、戦争まで引き起こす人の憎しみ、恨み、罪の連鎖に終止符を打てるのはキリストの愛しかないと、彼らが信じているからです。
今日開きましたヨハネの福音書には、主イエス・キリストが、なぜこの世に下って来てくださったか、その理由が語られています。そのことを4つのポイントから確認し、聖餐式の恵みにあずかりましょう。
すべてのものは、この方によって造られたとあるように、創造主なる神がおられ、私たちのいのちはその神から授けられたということを、素直に認めましょう。そして、いのちを授けた神ならば、私たちの人生を導き、すべての問題を解決することができるはずです。
7-8節には「この方…は人の光であった…やみはこれに打ち勝たなかった」とあります。
私たちは、罪や闇の中に置かれています。人を愛したくても憎んでしまったり、感謝や賛美したくても不平不満を言ってしまう。
そんな闇の中に置かれている私たちにとって、いのちの光であられる神がおられることをまず知りたいのです。
2.まことの光のこの世への到来!
9節に「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた」とあるように、神は天地宇宙を創造し、人を造られて、そのまま放ったらかしにはされませんでした。闇の中にあるこの世界に、救い主イエス・キリストを送ってくださったのです。
神ご自身が、何があっても私たちと関係を持とうとして、この世に来てくださったことを、感謝したいと思います。
3.まことの光を信じる信仰!
12節に「この方を受け入れた人々…その名を信じた人々には…」とあるように、神がこの世に下って来てくださったことを受け入れ、信じれば、神との接点、特別な関係が生じます。まことの光であるイエスを信じる信仰が大切です。
4.自分自身の出来事としての御子の到来!
12-13節に「…その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は…神によって生まれたのである」とあります。
救い主イエスを信じ受け入れる時に、神によって生まれた者としての神の救いの出来事が実現します。それを私たちは他人事ではなく、自分の出来事として受け止めましょう。
9節からの御言葉、「すべての人」を「私」と置き換え、「私のためにまことの光が世に来ようとしている」と味わい、イエス様のいのちを自分事としましょう。そして、このクリスマス、御子キリストの到来を体験し、前進しようではありませんか。