信仰と聖霊に満たされた者
使徒の働き6章1節~6節、11章22節~24節
…彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、この人たちを使徒たちの前に立たせた。そこで使徒たちは祈って、手を彼らの上に置いた。
この知らせが、エルサレムにある教会に聞こえたので、彼らはバルナバをアンテオケに派遣した。彼はそこに到着したとき、神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました。彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。
イエス様は、「聖霊と力に満ちた方」、「神の愛に満ちあふれた方」、「常に希望や平安があり、永遠の命にあふれている方」です。
私たちが、イエス様に祈って癒しをいただこうという時には、このイエス様に相応しい心を持つ者でありたいと思います。罪や悪に満ちた世の中にあっても、イエス様につながることでイエス様の恵みが自然に私たちに与えられるのです。
癒すのはイエス様です。私たちの力ではありません。クリスチャンになるということは、単に洗礼という儀式によるのではなく、何よりイエス様に対する信仰を働かせることです。
クリスチャンは、イエス様を愛し、その教えに従うことによって、心が変えられ、それが生活習慣を変え、日常を変え、人生そのものが変えられて、常にイエスと共に歩む者へと変わっていけるのです。
今日の聖書箇所に登場するステパノとバルナバを通して、私たちの心を満たすものが何であるかを確認したいと思います。
この二人を選んだ理由は、彼らの心の中に満ちていたものに注目したいからです。
彼らは、特別な能力を持っていた人物ではなく、私たちと同じ、教会に集う信徒として神様に用いられていました。
聖書は、ステパノを「信仰と聖霊に満ちた人」と表現し、彼は教会で信徒の食事の配給のお世話をする執事として神様に用いられました。
バルナバは「聖霊と信仰に満ちた人」と表現され、リバイバルの起こったアンテオケの教会に遣わされて神様に用いられました。
人の心にあることは外ににじみ出るものです。自分の心は、何に満たされているか確認しましょう。
ステパノとバルナバの心に満ちていた「信仰と聖霊」を私たちも心に持つ者でありたいと強く願い、意識して歩んで行きたいと思います。
2.恵みにあふれる人間関係!
「信仰と聖霊」に満たされるならば、あなたの周りに恵みあふれる人間関係が教会でも職場でも与えられるということです。
ステパノは、教会で評判の良い人でした。またバルナバの周りは、いつも穏やかで、たとえ喧嘩している人がいても、彼の周りには聖霊の一致があり、慰めがあふれ、恵みのあふれる人間関係が実現していったのです。
私たちが信仰と聖霊に満ちあふれているならば、人間関係においても必ず良い影響がもたらされるのです。
3.主の働きにおいて用いられること!
良き人間関係を構築したステパノとバルナバは、教会の働きや奉仕の現場、伝道の最前線で、教会の中心として、主に用いられました。
ステパノが祈りや証しをする時に、癒しと鮮やかな御業が起こり、国中の敵対する者たちを相手にできるほど、イエス様の恵みがあふれていたのです。
バルナバがいるだけで、アンテオケのリバイバルにおいて、勢いがあるだけでなく、安定感をもってエルサレムの教会以上に成長する教会となりました。彼によって伝道者パウロは表舞台に引き出されました。
私たちも聖霊と信仰に満ちた者とならせていただくなら、教会に良いものが満ちあふれ、リバイバルのために用いられます。そんな私たちが祈るときに、イエス様が良きものを与えてくださらないはずがありません。信仰と聖霊に満たされて恵み豊かな人間関係を実現し、主の癒しを体験しましょう。
イエス様を信じて生きることは本当に素晴らしいと、私たちが、罪人を救う神の義のすばらしさを現す証し人として用いていただきましょう。