キリストの権威ある言葉でいやされよう!
ルカの福音書4章31節~37節
それからイエスは、…安息日ごとに、人々を教えられた。人々は、その教えに驚いた。そのことばに権威があったからである。また、会堂に、汚れた悪霊につかれた人がいて、大声でわめいた。…イエスは彼をしかって、「黙れ。その人から出て行け。」と言われた。するとその悪霊は人々の真中で、その人を投げ倒して出て行ったが、その人は別に何の害も受けなかった。人々はみな驚いて、互いに話し合った。「今のおことばはどうだ。権威と力とでお命じになったので、汚れた霊でも出て行ったのだ。」こうしてイエスのうわさは、回りの地方の至る所に広まった。
今日のいやしの礼拝に主役であるイエス様をこの場にお迎えしたいと思います。
聖書ははっきりと、イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも同じであると語っています。今も当時と同じように私たちと共にいてくださり、主が働いて祝福が豊かに与えられます。
これから夏の諸行事が開催されていきますが、全てが祝福されることを体験したいと思います。
今週の水曜日は4年ぶりにレイモンド・ムーイ師をお招きして「いやしの特別集会」を開催します。期待してご参加ください。イエス様が共におられ、聖霊が私たちの内に働く時、人生に喜びがもたらされ、人生が変えられて祝福が豊かに与えられることを感謝したいと思います。特別集会でのいやしだけでなく、今日のいやしの礼拝でもいやしを体験したいと思います。
今日の聖書箇所でも、イエス様がおられる所には人々には驚きであるとしか言いようのない事柄が起こっていたのです。イエス様は救い主、神の御子、神ご自身の完全な現われですから、そのイエス様が共におられることで、常識を吹っ飛ばすような非日常的なことが起こり、いやしを体験できるのです。
今日のいやしの礼拝で、イエスの持たれた権威ということをはっきりと意識して祈りたいのです。今日の聖書箇所から3つのポイントを押さえておきます。
1.イエスの教え―権威ある言葉!
旧約聖書の律法を固く守っていたにユダヤ人たちは、安息日を清く守るという解釈が行き過ぎたルールになっていました。病気を治すことは医者の仕事であり、律法に反していました。
その中で、安息日ごとに会堂に出かけ、病人をいやしていたイエス様は、律法を守らない人物であり、捕らえて殺そうというところまで話が進んでいったのです。当時の律法学者の中にも素晴らしい人はたくさんいました。
しかし、イエスの言葉には権威があったのです。権威があるということは、イエス様が発せられた言葉は、単なる素晴らしい言葉ではなく、必ず実現する力があるということです。
2.イエスの教え―悪霊に対する権威!
汚れた霊に取りつかれた人に、その悪霊をしかって「黙れ!その人から出ていけ!」と言われると悪霊は出て行きました。イエス様の言葉は、悪霊に対する権威をも持っていたのです。
私たちが祈るときも、言語の違いは関係なく、イエス様の御名、御言葉で祈るときには権威があるのです。あなたを苦しめる病気、煩いに対して勝利する権威があることを知りましょう。
3.イエスの教え―いやしと解放のための権威!
イエス様は、安息日に人々をいやし、悪霊から解放したことで律法学者やパリサイ人からさばかれようとしていました。
しかし、イエス様は、「安息日にしてよいのは善を行なうことなのか、悪を行なうことなのか」と人々にチャレンジし、変わらず悪霊を追い出し、病人をいやしていたのです。いやしと解放を実現すると同時に、私たちを愛し、私たちのために、いやしと解放の権威を現わしてくださることを感謝したいと思います。
イエス様の御名にある権威によって祈り、私たちのために権威を現わしてくださいと祈り求め、いやしを体験してまいりましょう。
4.神様から与えられた賜物を発見して用いよう
「賜物」とは、聖霊によって与えられる特別な贈り物を意味します。教会は、牧師やスタッフだけでなく、皆が神から与えられた賜物を活かし、キリストの身体を建て上げていく場所です。
超能力的なことができるだけが御霊の賜物ではありません。奉仕や人を教えること、惜しみなく人に与えること、賛美や奏楽、料理、子どものお世話、教会の掃除、献げること、伝道すること、証しすることなど、みんなに例外なく賜物が与えられているのです。
今日の聖餐式の礼拝で、主につながっていることを確認して、この7月もイエス様からの祝福と元気をいただいて歩み始めましょう。
5.生まれる前からの神の選び
救い主イエス・キリストと出会い、クリスチャンとされたことは、とてつもなく大きな恵みです。私たちは、生まれる前から選ばれ、神様のビジョンが備えられた特別な存在なのです。
困難の中で自分を過小評価せず、神から与えられたビジョンに立ち戻りましょう。信仰により、本来の自分へと原点回帰して、生き生きとした力強い歩みを取り戻しましょう。(エペソ1:3-7)