生ける水の川の恵みをいただこう

ヨハネの福音書7章37節~39節

さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。


本日はペンテコステ礼拝です。イエス・キリストの甦りから50日目に、約束された御霊が注がれた日をペンテコステと言い、その日、教会が誕生しました。今日はそのことをお祝いする、大切な日です。

今日お開きした箇所は、エルサレムに上られたイエス様が、仮庵の祭りで教えられた場面です。仮庵の祭りは、イスラエルの先祖が荒野を旅したことを思い出すための祭りです。

祭りの終わりの日にイエスの声が神殿に響き渡ります。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。…その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」と語り、それは十字架と復活の後に降る聖霊のことを言われたのでした。

聖霊がもたらすことについて、使徒の働きから4つのことを確認したいと思います。

1.力強く明確な体験

使徒の働き2章では、聖霊が弟子たちに降り、激しい風のような響き、炎のような分かれた舌が現れ、彼らは他国の言葉で話し出しました。それは周りの人からも驚き怪しまれるような力強い明確な出来事でした。

天地宇宙を造られた神様は、人間の知識を超えた大きなお方ですから、神の力が霊となって私たちの内に注がれると、偉大な御業が現されるのです。

私たちも、もっと明瞭に力強い体験として聖霊を教えてくださいと祈ろうではありませんか。

2.人やこの世のものではない力

使徒の働き3章では、足の萎えた物乞いの男に、貧しかったペテロとヨハネは何もあげることができませんでした。

しかし、彼らが「ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい」と祈ると、彼は歩き出したのです。イエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、この人を癒したとペテロは語っています。

イエスの名を信じる信仰を通して、神の力が発揮されるのです。聖霊は神の霊ですから、人間には計り知ることのできない神様からの力を与えるのです。

3.ゆるがない大胆さの根拠

使徒の働き4章では、ペテロたちはこの人による以外に救いはないと民を教えていました。彼らは祭司長に捕らえられ、脅され苦しめられました。

しかし、彼らがもっと御言葉を語らせてくださいと祈ると、その場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、大胆に神の言葉を語り出したのです。

聖霊が注がれると、どんな問題、試練、マイナスと思える事態が起こっても揺るぎません。弱いように見えても実は強いという、大胆に生きていく者と変えられます。

4.十字架の復活の信仰を完成させるもの

使徒の働き8章では、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞いて、ペテロたちは、人々が聖霊を受けるように祈ります。

彼らの上に手を置くと彼らは聖霊を受けました。聖霊に満たされた彼らは御言葉に聞き従い、教会の交わりの中に入り、信仰が整えられていったのです。

このように、聖書の御言葉を受け止めて、十字架、復活のイエス様を受け入れるなら、私たちにも聖霊が注がれ、揺るがない信仰を完成させることができます。そして、確信をもって、大胆に福音を宣べ伝えていく者へと変えられるのです。

神様と向き合い、聖霊をいただき、証し人としてこの私も用いてくださいと祈ろうではありませんか。

5.生まれる前からの神の選び

救い主イエス・キリストと出会い、クリスチャンとされたことは、とてつもなく大きな恵みです。私たちは、生まれる前から選ばれ、神様のビジョンが備えられた特別な存在なのです。

困難の中で自分を過小評価せず、神から与えられたビジョンに立ち戻りましょう。信仰により、本来の自分へと原点回帰して、生き生きとした力強い歩みを取り戻しましょう。(エペソ1:3-7)

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