主キリストの御名によって歩む

使徒の働き4章5節~12節

…彼らは使徒たちを真中に立たせて…尋問しだした。そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「…この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった。』というのはこの方のことです。この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」


大型連休が終わり、再び始まる普段の生活の中にも、イエス様の平安と喜び、力強い御業が現わされるよう祈り、5月の日々を歩んでまいりましょう。

コロナ感染症への対応が変わり、コロナ禍からの脱出への第一歩になります。しかし、システムが変わっても大事なことは、心構えと行動です。「見えるところによってではなく、信仰によって歩んでいます」(Ⅱコリント5:7)。この言葉を心に留め、目先のことに振り回されるのではなく、信仰を働かせて、迷いのない力強い歩みをしてまいりましょう。

使徒の働き3章で、生まれつき足が悪く一度も歩いたことのない男にいやしの奇跡が起こり、人々の間で騒ぎになりました。その騒ぎがローマ帝国に暴動と判断されれば、彼らが介入してくる恐れがあるので、ユダヤ教の指導者たちにとって都合の悪い出来事だったのです。

そして、今回の聖書箇所である4章では、その騒動の責任者としてペテロとヨハネは逮捕されました。そこでの取り調べの問答の中に、私たちが意識すべき信仰の核が示されています。4つのことを確認しておきましょう。

1.恵みの奇跡の原因!

人々から「恵みの奇跡の原因」を聞かれるような大きな体験をしようではありませんか。

私たちが主イエス・キリストを信じて歩むならば、私たちの周りには、恵みや祝福が必ず行われます。信仰は、単なる理屈や教えではなく、人生での体験や事実です。

神様は今も生きて働いて、私たちの祈りに応えてくださいます。神様の御業が恵みの奇跡として、人々から注目を集めるほどはっきりと起こりうることを信じてまいりましょう。

2.奇跡の原因はイエスの名!

ペテロは、ここでイエス様がどういうお方であるか、はっきりと示しています。

私たちが与えられている信仰の力の出どころは、十字架と復活の救い主イエス・キリストです。その御名によって祈る祈りには特別な力があり、とてつもない奇跡が起こります。

3.人の計画ではなく神の御業!

11節には「『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった。』というのはこの方のことです」とあります。神の選びの民であるイスラエルの人々が見捨てて十字架にはりつけにしたイエス・キリストが、実は神の御業の土台、中心になりました。

ペテロは旧約聖書の預言の成就であると語ります。私たちが神に祈り求めるとき、人の予想や期待をはるかに超える神のご計画が現わされることを感謝して受け止めましょう。

4.世界にただ一つの特別な御名!

世界中には色々な人や物の名前がありますが、私たちを救い、いやすことのできる名前は、イエス・キリストの御名しかない、とペテロは宣言しました。

名前は単なる記号ではなく、その人の本質を表します。イエス・キリストが救い主として成し遂げた神の救い、いやし主の力が、イエス・キリストの御名を唱える者たちに与えられているのです。

コロナ禍の3年間に終止符を打って、自由であるべき社会生活を取り戻しましょう。「コロナ」という名に支配されるのではなく、イエス・キリストの御名を信じる者でありたいと思います。

5.生まれる前からの神の選び

救い主イエス・キリストと出会い、クリスチャンとされたことは、とてつもなく大きな恵みです。私たちは、生まれる前から選ばれ、神様のビジョンが備えられた特別な存在なのです。

困難の中で自分を過小評価せず、神から与えられたビジョンに立ち戻りましょう。信仰により、本来の自分へと原点回帰して、生き生きとした力強い歩みを取り戻しましょう。(エペソ1:3-7)

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