苦難からでも起こるリバイバル

使徒の働き8章1~8節

…その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ。サウロは教会を荒らし、…男も女も…次々に牢に入れた。他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。ピリポは…人々にキリストを宣べ伝えた。…汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、大ぜいの中風の者や足のきかない者は直ったからである。それでその町に大きな喜びが起こった。


キリスト教の歴史では、使徒の働きの聖霊降臨の時以来、世界各地でリバイバルが起き、そして今、米国アズベリー大学でもリバイバルが起こっています。

リバイバルとは、いつの間にか失いかけていた信仰が、聖霊の注ぎにより、熱い霊的な状態に回帰することです。

クリスチャンの少ない日本などでは、主キリストによる救いを求めて教会に多くの人々が集まるような、力強い動きが現れることです。私たちの教会は、万代恒雄牧師により滅びゆく魂を救うため、日本のリバイバルのために生まれた教会です。

今日の聖書箇所は、リバイバルの励ましを与えられる箇所です。使徒たちへの迫害の最中、信徒であるピリポにより、サマリヤで“リバイバル”が起こったのです。ここから、4つのことを確認しましょう。

1.たとえ始まりが苦難であっても!

8節に「その町に大きな喜びが起こった」とあります。リバイバルが起きたのです。

しかし、始まりは迫害でした。十字架にかけられた救い主など認めないという人々が、キリストを証しし続けるステパノを石打で殺したのです。この時、まだ迫害者だったサウロ(後のパウロ)はエルサレムの教会を荒らし、次々と男も女も牢に入れたのです。

ここで、始まりが苦難や迫害であっても、神様の業は起こることを知りましょう。私たちも新しいことを始めようとする時、神様の計画があるのですから、投げ出さないようにしましょう。

2.たとえ状況がすぐに好転しなくても!

教会に対する激しい迫害が起こり、使徒以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの地方に逃げました。

しかし、4節の御言葉に注目しましょう。「散らされた人たちは、御言葉を宣べながら巡り歩いた」。

逃亡者のように逃げ続けるしかない中でも、すぐに事態が好転しない苦しい状況であっても、人々はイエスの御言葉を宣べ伝えることを止めなかったのです。

3.たとえ一人の働きからでも!

ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えました。

ピリポはイエスの直接の弟子でも、使徒でもありませんでした。しかし、彼がキリストを宣べ伝え、祈ると、悪霊が出て行き、病人が癒されました。神の御業が起こったのです。

ここで、たとえ一人の働きからでも、神の計画、リバイバルが起こることがわかります。

4.いやしや解放の恵みが起こる!

ピリポにより、サマリヤの街に大きな喜びが起こりました。リバイバルが実現したのです。

今回のアメリカのリバイバルも、LGBTの問題をきっかけに、教会が分裂し、聖書の教えから離れてはいけないという熱い祈りから起こったそうです。

苦難の中にあっても、すぐに好転しなくても、たった一人の働きだったとしても、必ず主による大きな喜びがわき起こります。苦難の中でも祈り求める時に、神はリバイバルをもって闇の中で働く力を示してくださいます。

今、世の中は戦争、地震、不況、世の終わりのような状況ですが、闇の中に輝く光として、神からの聖霊の働きを求め、祈ってまいりましょう。本来の自分らしさへの原点回帰、主からのビジョンに立ち帰りましょう。

教会もリバイバルを求める教会へと立ち帰らせていただきましょう。

5.生まれる前からの神の選び

救い主イエス・キリストと出会い、クリスチャンとされたことは、とてつもなく大きな恵みです。私たちは、生まれる前から選ばれ、神様のビジョンが備えられた特別な存在なのです。

困難の中で自分を過小評価せず、神から与えられたビジョンに立ち戻りましょう。信仰により、本来の自分へと原点回帰して、生き生きとした力強い歩みを取り戻しましょう。(エペソ1:3-7)

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