主の約束への原点回帰

マルコの福音書16章15節~20節

それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」…彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。〕


私たちは力強い御言葉に目を留め、今日の礼拝でいやされたいと思います。神様から命、元気を頂き、喜びと聖霊の導きに溢れて、今週も歩んでまいりましょう。

私たちは、神によって与えられるいやしを信じ、祈り求める教会です。聖書の中のイエス・キリストは、常にあらゆる病をいやされた100%のいやし主でした。そのいやしを信じるのは当然のことです。

神の御業は、しばしばいやしとして現され、神御自身が、出エジプトの時に、「わたしは主、あなたをいやす者である」といやしを宣言されました。私たちは当事者として恵みといやしを体験するのです。約束されたいやしのために、イエス様は今も働き、私たちの一切の必要を満たし、肉体の弱さ、病、患いから私たちを解放してくださることを感謝したいと思います。

「本来の自分らしさへの原点回帰」を2023年のテーマに掲げていますが、回帰すべき原点には、主が約束されたいやしが確かにあります。

今日の箇所は、主が、天に昇られる前に弟子に語られた大宣教命令と呼ばれるものですが、ここから、信じる私たちに与えられる恵みを4つのポイントで確認して、いやしを求めて祈りたいと思います。

1.神による“しるし”が与えられている!

イエス様は、私たちがイエス・キリストを信じ、証し人として生きるなら、神からの明確な“しるし”が与えられると、シンプルに語っておられます。

その“しるし”は、私たちの五感を通して、神が働かれたことを理解できる体験です。精神論や観念論のような、あやふやなものではなく、私たちに分かる形で御業が現されると約束されたのです。

2.キリストの御名の力!

“しるし”をもたらすキリストの御名の力が与えられていることを知りたいのです。

救い主イエスの名は、単なる名前ではなく、悪霊さえも従わせる権威と力、恵みがあるのです。全ての名にまさる名が、私たちに与えられていることを喜びましょう。キリストの御名によって祈る私たちは、必ず強くされます。

イエス・キリスト名による祈りは、単なる習慣で行うものではありません。習慣化するほど大切にしてきたのは、どんな束縛や鎖も断ち切る力があるからです。

3.手を置いて祈る祈り!

手を置いて祈ることのできる恵みに感謝したいと思います。

イエス様は、いやしを祈られる際に、しばしば病人に手を置いて祈られました。ただ私たちのそばにいて、見つめて、大丈夫、と言われたのではなく、病める者に、その箇所に手を置いて祈る時、今も生きて働かれるイエス様との明確な接点があることを意味します。

そこにイエスの御名に繋がる祈りが凝縮され、その病める箇所に神のいやしの御業が圧倒的な力を持って現されることを知りましょう。

4.いやしや解放の恵みが起こる!

キリストの御名の力によるいやしの祈りによって私たちはいやされ、悪霊から解放される、とてつもない恵みを体験したいと思います。

聖霊による喜びを持って新しい言葉を語ることができ、イエス様によって強められてまいりましょう。

私たちは、どんな病もいやされ、害毒からも守られるという聖書の約束に基づいて祈り、いやされたいと思います。

5.生まれる前からの神の選び

救い主イエス・キリストと出会い、クリスチャンとされたことは、とてつもなく大きな恵みです。私たちは、生まれる前から選ばれ、神様のビジョンが備えられた特別な存在なのです。

困難の中で自分を過小評価せず、神から与えられたビジョンに立ち戻りましょう。信仰により、本来の自分へと原点回帰して、生き生きとした力強い歩みを取り戻しましょう。(エペソ1:3-7)

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