自らの愚かさを忘れない

ローマ人への手紙7章19節~24節、3章21節~26節

…私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。…だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。

…すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。…


クリチャンとして歩むことは、私たちが救い主イエス様を信じ受け入れ、イエス様と共に歩み神様に義とされた者であり、恵み祝福を与えられていることを感謝し前進していることだと思います。日々イエス様を見上げて、力強い歩みをなしてまいりましょう。

今日の聖書箇所は、新約聖書の多くの部分を書いた初代教会の大伝道者であり、律法学者であり、ラビと呼ばれる知識の持ち主であったパウロが、頭では分かっている、理屈も分かっているのに、したくない悪をやめることができない愚かな人間だと語った箇所です。

私たちもパウロと同じように愚かで身勝手な人間であることを認め、神の恵みによって初めて救われる者であることを認めましょう。神様の前にへりくだり、救いを頂くための3つのポイントを押さえていきたいと思います。

1.理屈や建前と本当の自分とのギャップ!

私たちは自分を見つめ直す時に、理屈や建前の自分と本当の自分の間に随分とギャップがあることを認めたいと思います。

パウロはしたいと思う善を行わないで、かえってしたくない悪を行っていると語りました。律法を学び理解をしていたパウロでさえ、自分の中に悪が存在し、罪で汚染されて悪の奴隷のようであると告白しています。

私たち日本人は、パウロ以上に建前と本音にギャップがあります。頭の中では神様に喜ばれる清い行動も分かっているのにそれができないことを覆い隠すのではなく、その罪を、心が悪に支配されて罪の奴隷であることを素直に認めたいと思います。

2.値なしに、功績なしに救われる方法

私の知らないところで、代価も支払わず、何の功績もないのに、罪深い私が救われる方法が実現したことが聖書に宣言されています。

私たちを愛し救い、主イエス・キリストが私たちの罪の贖いの代価として自らの命を捨てて、私たちの身代わりとなって十字架にかかり、死んでくださいました。この事実によって、私は罪のない者、義なる者とされる、神様からの救いの方法、贖いの事実が実現したことを感謝したいと思います。

私が信仰を持つ前、存在する前から神様は私を救うための方法を実現してくださっていたことを心から感謝したいと思います。

3.義と認められ、救われる者となる!

罪人である私たちは、イエス様を信じる信仰によって義と認められ、神によって救われるのです。愚かな私たちという事実の上に、イエス・キリストがすでにご自分の命で罪の代価を支払われ、私たちに救いを実現してくださるという事実が重なるのです。

世界の戦争はやむことがなく、詐欺や殺人もなくなりません。しかし、それは単に他人の話ではなく、一番の原因は、私たちの内にある罪です。滅びるしかない、どうしようもない罪人の私たちが、ただイエス・キリストを信じることによって救われるのです。

私の心に入ってください、共に歩んでください、と願うことにより人生が変えられ、例外なく救われるのです。そのことを感謝したいと思います。

この夏も思いっきり恵まれ、イエス様の愛を受けて本当の自分を見出し、イエス様に繋がって力強く歩んでまいりましょう。

4.私の主!私の神!という信仰

トマスは、「私の主、私の神」と答えましたが、イエスは、「見たから信じるより、見ないで神の御言葉や人々の証言を聞いて信じる方が良い」と言われました。

この世には、自分中心、お金儲けが全て、死んだら終わりで今を楽もうという情報が溢れていますが、それは事実ではありません。

聖書は、人は一度死ぬことと、その後、神の前に立つことが決まっていると書かれています。

人生の情報戦の選択を間違わず、変わらない神の言葉に耳を傾けて、十字架と復活のイエスと共に生きましょう。

5.神の御計画の前進!

パウロは、伝道生涯において良いことも試練も経験したと記しています(ピリピ1:12)。あらゆることが相働いて福音を前進させ、神の御計画を進めるために役立っていることを感謝しています。私たちにも良いことも悪いことも起こりますが、主の計画は前進することを体験し感謝していきたいと思います。

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