主キリストから目をはなさない
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
2022年も、はや折り返し地点となりました。今年は最短の梅雨明けで、とても暑い夏になりそうですが、気持ちを「夏モード」に切り替えて、夏だからこその祝福された毎日をクリスチャンとして歩みましょう。メンズクラブの海水浴や各部会のキャンプ、全国聖会、合同記念会、納涼祭りなど、一つ一つの行事が、イエス様の恵みと聖霊の力に溢れる、教会らしい行事になることを期待します。
今日は聖餐式礼拝です。主の臨在の中で御言葉を受け止め、信仰の原点に立ち返り、共に祝福をいただいて恵まれましょう。
スマホを使う生活が当たり前になると、通信障害で繋がらない場合には大変不自由です。私たちクリスチャンは、神様との間に「通信障害」などありませんように。礼拝での祈りと賛美によって、イエス様に結びつき信頼し、命をいただきましょう。
最近の世の中は、情報が溢れ選択肢が多すぎて、一つのことに集中できずに生活が忙しくなっています。しかし、仕事や趣味はいろいろあっても、今日私たちは、教会に来て礼拝をして、生き方の基本、命の一番深い部分でクリスチャンとしての生き方を選びました。
今年の夏の日々を力強く前進するために3つの大切なことを確認しましょう。
1.主キリストが完全なモデル!
今日の聖書箇所の前の章、ヘブル書11章は、旧約聖書の代表的な登場人物たちがどのように信仰を働かせて神様と向き合い大きな恵みをいただいたかが「信仰者列伝」として書かれています。
そしてこの12章では、「あなた」も信仰を働かせて神様の恵みと力をいただくことができる、と語っています。
クリスチャンの信仰は、人間の思い付きや想像で勝手に作り出したものではなく、イエスという完全なモデルがあります。2000年前、神であられるお方が、人となってこの世に生まれてくださり、神様のすばらしさを証しし、私たちの罪を贖うために十字架上で身代わりとなって死に、3日目によみがえり、永遠の命の希望まで約束してくださいました。
常に、救いを成就したイエス様をモデルとして見ることが重要です。
2.主から目を離さない!
ここには、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」と命令形で書かれていますが、聖書が書かれたギリシャ語の用法では、命令と共に継続の意味が含まれています。
つまり、困った時の神頼みではなく、普段の生活において「いつも」そうしなさいということなのです。いつも、もしイエス様だったら何と言い、どう行動されるだろうかと考えるのです。それがイエス様と繋がっていることであり、祝福を受ける秘訣です。
3.主の愛と恵みをいつも忘れない!
聖餐式のたびに、私たちが罪の中で死ぬ代わりに、神の御子であるイエス様が血を流し死んでくださった事実を確認し、その愛の深さと救われた恵みの大きさに新鮮に感動し感謝しようではありませんか。
私たちは過去のことを忘れがちですが、イエス様が私たちのために死なれたのは、紛れもない事実です。
イエス様から受けた愛に感謝し感動する者でいましょう。イエス様と共に歩みながら、この7月も大きな祝福をいただいてまいりましょう。
4.私の主!私の神!という信仰
トマスは、「私の主、私の神」と答えましたが、イエスは、「見たから信じるより、見ないで神の御言葉や人々の証言を聞いて信じる方が良い」と言われました。
この世には、自分中心、お金儲けが全て、死んだら終わりで今を楽もうという情報が溢れていますが、それは事実ではありません。
聖書は、人は一度死ぬことと、その後、神の前に立つことが決まっていると書かれています。
人生の情報戦の選択を間違わず、変わらない神の言葉に耳を傾けて、十字架と復活のイエスと共に生きましょう。
5.神の御計画の前進!
パウロは、伝道生涯において良いことも試練も経験したと記しています(ピリピ1:12)。あらゆることが相働いて福音を前進させ、神の御計画を進めるために役立っていることを感謝しています。私たちにも良いことも悪いことも起こりますが、主の計画は前進することを体験し感謝していきたいと思います。