“深化”する信仰の極意!

ダニエル書3章16節~18節

シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。

「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」

すると、ネブカデネザルは怒りに満ち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴに対する顔つきが変わった。・・・


今、ロシアが自作のフェイクニュースを口実にウクライナに侵攻し、現政権を転覆させて傀儡政権を樹立しようとする大変な状況です。

私たちにはそれぞれ自分の願いがありますが、それを無理に周りの人に押しつけ強制するのは許されないことです。自己実現が強調される現代ですが、クリスチャンの自己実現は、自分の願いだけでなく神の御心と聖霊による働きかけがありますので、たとえそれが自分にとって不都合なことであってもそれを選ぶのです。

今日の聖書箇所は、古代バビロニア王国が南ユダ王国を滅ぼし、捕囚の民となったシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの話です。

ネブカデネザル王は、捕虜でも優秀な者を重用し、彼らはすばらしい仕事をしていいました。しかし、王が金の像を造って拝むように命令を出したため、それに従わない彼らは、すぐに捕らえられました。「炉に投げ込まれて殺すぞ」と脅された時に、彼らが答えた場面です。

今日は“シン”生活宣言の8つめの、“深”です。いつまでも表面的なものではなく、深められた信仰を持ちたいのです。クリスチャンでなければ、そのような立居振舞はできないという特別な強さ、恵みを与えられようではありませんか。彼らのような信仰を自分のものとするために4つのポイントを確認します。

1.生き様に深く刻みつけられる信仰

私たちの信仰は、単なる御利益主義ではなく自分の命に染みこませた習慣、それも、クリスチャンの信仰に染め上げられていると言えるくらいに深められたいのです。

イエス・キリストの十字架の血によって生まれ変わらせていただいた私たちは、命の内容にまで聖書のみ言葉を刻みつけたいのです。

2.時がよくても悪くてもクリスチャン

クリスチャンになっても病気や困難、苦しみはあります。

しかし、時がよくても悪くても、クリスチャンであることは変わりません。何があろうといつもクリスチャンです。今日の箇所で彼らは、命も奪われる窮地に置かれました。

しかし、人生の一大事においても妥協しませんでした。そこまで深められたいのです。

3.腹の据わった覚悟を決めたクリスチャン

彼らの信仰は、「もしそうでなくても」と言えるほど深められた信仰です。私たちの神は、必ず救ってくださいます。

しかし、そうでなくてもと、腹をくくり、覚悟を決めた、そう告白する信仰でありたいのです。

恵みの神は、必要な恵みをいくらでもくださいます。

しかし、自分の希望に合うから信じるのではなく、もしそうではなくても、と言えるキリストの兵士として、覚悟を決める、深められた信仰を持ちましょう。

4.人の覚悟を超える神の恵み

一番強いのは神の愛と救いです。

彼らはすぐに王の怒りを買って炉に投げ込まれましたが、王には、炉の中に4人の人が見え、驚いて彼らを炉から出てこさせると、彼らは完全に守られていました。そこで王は、「このような神はほかにいない」と認め、畏れたのです。

私たちの限界を超えたところで、「それでも神は助けてくださる」という体験をして、深められた、信仰の極意を目指そうではありませんか。

損得勘定ばかりの薄っぺらな信仰者ではなく、神を愛し、人を愛し、イエスの御心に適う者になりましょう。

5.永遠のいのちに到達する

Ⅰコリント13章13節に、いつまでも残るものは信仰と希望と愛だと書かれています。この世とこの世に属するものは全て過ぎ去り滅びます。神様の永遠のいのちに繋がるものだけが残るのです。信仰が働いていると、生きながらにして永遠のいのちの約束をいただいているのです。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです(ヘブル11:1)」。信仰を持って前進しましょう。

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