主はご自身の計画をあきらめることはない
また言われた。「神の国は、どのようなものと言えばよいでしょう。何にたとえたらよいでしょう。それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときには、地に蒔かれる種の中で、一番小さいのですが、それが蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」
一年中で一番寒いと言われる2月ですが、オミクロン株の感染拡大の不安なニュースが流れる中でも、一人ももれることなく神様の豊かな恵みをいただいて、心身共に力強く伸びやかに前進してまいりましょう。
教会の集会に出られない方も多くいますが、神の宮に来て祈ることの大切さを忘れないでください。
私たちの教会は、1年365日開いていますので、大人数で集うことが難しいと思われる方は、平日に礼拝堂に来て祈ることもできます。クリスチャンは、命そのものを神様の御手に委ね、主がよしとされる人生を生き、死んだ先は永遠の命の平安が与えられています。
世の中の人とは違う、神様に土台を据えたゆるがない生き方を意識しましょう。これはクリスチャンの大きな恵みです。
今年のテーマ「“シン”生活宣言!主キリストと共に歩む毎日」から今日は、「伸」。
神様から見ると小さな私たちにさえ、伸びやかな広々とした「伸びしろ」が与えられています。
今日の聖書の箇所でイエス様は、1ミリにも満たない種から2~3メートルにもなる「からし種」の驚くべき成長を、クリスチャンに与えられる、想像を絶する神からの恵みの大きさのたとえとして話されました。
私たちがいただける神様の恵みの大きさを3つのポイントで味わいたいと思います。
1.神様のご計画はとてつもなく大きい
創世記12:1-2で、当時75才で子どももなく無名であったアブラハムに神様が、「わたしが示す地に行きなさい。そうすればあなたを大いなる国民としよう」と言われました。
まだひとりの子どももいない老人から、国民と呼ばれる民族が生まれるなど、誰が想像できるでしょうか。
神様を信じて歩むならば、この世の常識や法則をはるかに超える夢かと思うような恵みや広さが備えられています。神様が始めてくださった働きがもたらす成果は、とてつもなく大きいことを忘れないでください。
2.人の知恵ではなく神様の方法による
創世記17:15-19。アブラハムの旅はトラブル続きで、サラには子どもも与えられず、神の約束を信じられずに人間的な手段や計画を考えます。
しかし神は、人間の考えとは全く違う、ユニークで奇跡とも言える方法で事を行われます。
たとえ理解できなくても、神が働きかけてくだされば、すばらしいことが起こるという「神の恵みの領域」を残しておきましょう。
3.神様は計画を途中であきらめない
ヨシュア記13:1-2で、アブラハムに約束されたカナンの地に導き入れられるという神様の約束は、ヨシュアの時代に実現しました。
その後神様は、すでに老人になったヨシュアに、大切な使命はまだ完成していないと言われたのです。
私たち自身にも問いかけたいと思います。年を取ったから、お金がないから、やれることは全てやったからと、自分勝手にやめていませんか。
あなたの人生の中の神様のご計画が終わったかどうかは、神様が決めることです。主が天へと私たちを召してくださる時まで、成長の余地、前進すべきスペースはまだ残っています。
厳しい寒さやコロナによる自粛生活で心身共に委縮しているなら、教会で霊的にほぐしていただいて、神様の恵みで豊かに伸びやかにされ、私たちの人生に成長の可能性をいただきましょう。
4.愛に満ちあふれる者になれる
Ⅱテサロニケ1章3節には、信仰が成長することで愛が増し加わると書かれています。信仰が成長していくと人々に対して愛が増し加えられ、霊的にも成長するのです。私たちの信じる対象は誰ですか? 私たちを愛し、命まで捨ててくださったイエス様です。そのキリストの愛が増し加えられ、愛に満ちあふれる者となれるのです。
5.永遠のいのちに到達する
Ⅰコリント13章13節に、いつまでも残るものは信仰と希望と愛だと書かれています。この世とこの世に属するものは全て過ぎ去り滅びます。神様の永遠のいのちに繋がるものだけが残るのです。信仰が働いていると、生きながらにして永遠のいのちの約束をいただいているのです。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです(ヘブル11:1)」。信仰を持って前進しましょう。