神の家族の価値を再発見しよう

マタイの福音書12章46節~50節、13章54節~58節

イエスがまだ群衆に話しておられると…だれかが言った。「…あなたのおかあさんと兄弟たちが…外に立っています。」…イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」
それから…会堂で教え始められた。すると、彼らは驚いて言った。「この人は、こんな知恵と不思議な力をどこで得たのでしょう。この人は大工の息子ではありませんか。…」こうして、彼らはイエスにつまずいた。


本日より、3度目の緊急事態宣言が4都府県に発令されました。同時に愛媛県でも「まん延防止措置」が適用され、警戒が一段と強まっています。「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう(詩篇50:15)」とあるように、試練の時こそ信仰を燃やして前進してまいりましょう。

昨日は、坂本兄の告別式をさせていただきました。坂本兄はお身体が不自由でしたが、礼拝を大切にされ、電動車椅子をご自分で操作して43年間の信仰生活を守り通されました。

いつも向上心をお持ちで、「自分のような者でも教会の役に立ちたい」と、顎でコンピューターを操作してお証しを書いてくださったこともあります。

15年ほど前に政府から障害者への補償問題が話題になった時、それまで健常者から差別されたことに悪い感情を持つ人もいました。

当時坂本兄と一緒に祈る機会が与えられ、「私たちはクリスチャンだから、仕返しではなく周りの人々を愛し、喜びながら前進しましょう」とお話ししました。

坂本兄はそのことを素直に受け止め、いつも私たちとにこやかに交わりを持ってくださいました。

昨日は、教会の兄弟姉妹、ヘルパーさんのみが集ってのお別れでした。彼にとって、教会の神の家族が本当の家族なのだと思わされました。聖書は、神につながった家族の素晴らしさを伝えています。2つのことを確認しましょう。

1.イエス様が認める家族

イエス様が群衆に教えておられる時、その場にいた人が「あなたのおかあさんと兄弟たちが、あなたに話そうとして外に立っています」と伝えました。

するとイエス様は弟子たちに手を差し伸べ、「父なる神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、母です」とお答えになりました。神につながり、神の御心を行って人生を歩む者は、誰であっても神の家族であると教えられたのです。

私たちは、もともと神に背を向けた罪人であり、神の家族に入ることができない存在でした。しかし、イエス様を信じることによって神の子とされる特権をいただきました。

教会に集って神の御心を受け止め、神に喜ばれるように生きる私たちは、神の家族の一員であり、兄弟姉妹です。主にある兄弟姉妹と共に歩めることを喜ぼうではありませんか。

2.イエス様に倣(なら)う

イエス様はご自分の郷里に行かれ、会堂で人々に教え始めました(13章)。しかし、その土地の人々はイエス様のことを「顔見知りの大工の息子」としか認めなかったのです。彼らの信仰を見て、イエス様はそこでは多くの奇跡をなさいませんでした。

私たちは、イエス様のことをどのように認めているでしょうか。イエス様こそ救い主であると信じ、はっきりと告白しましょう。

イエス様はゲッセマネの園で「わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」と祈り、神の御心を貫かれました。私たちも、いつも「イエス様だったらどう行動されるだろう」と想像してみましょう。そして神の御心にかなう行動を選び取りましょう。

これからも自粛生活が続きます。神の家族である私たちは互いに祈り、励まし合い、イエス様に倣って神の御心を行う者となりましょう。

3.主イエスを救い主として認めているか

聖霊に満たされることを願うとき、大げさなことをする必要はありません。必要なことは、私たちがイエス様を救い主として認めるということです。

今日読んだ箇所では、悪霊に取り憑かれた人をイエス様が癒したことで、イエス様とパリサイ人たちとの論争が起こったことが記されています。

イエス様に嫉妬し、イエス様を言葉の罠にかけて訴えようとしたパリサイ人たちは、イエス様のことを「悪霊のかしら」と決めつけ、イエス様を救い主として信じることができませんでした。

そして、イエス様は、パリサイ人たちのことを表面的には律法を守っていても、心の中は腐ったような者と見抜かれていたのです。

私たちは、イエス様を救い主として受け止めているでしょうか?

イエス様はよみがえってくださっただけでなく、天に昇られた後に聖霊を送ってくださいました。良い霊である聖霊に満たされると、私たちの心には良い物がいつも宿り、良い倉から良い物を引き出すことができるようになるのです。

さあ、恵みを求めて祈りましょう。世の中の悪い影響を受けず、良い物で心を一杯にしましょう。

4.神の愛が常に注がれている

誰もが愛を求めますが、愛は見つからず、誰にも愛されないと嘆く人もいます。

しかし聖書は、「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです(Ⅰヨハネ4:9)」と語り、救い主イエス・キリストによって現され事実となった愛が、ここに存在すると断言しています。

人の愛が不確かで弱いことを感じますが、私たちの人生の道には、神の愛があります。

「私の人生は、あなたの御前にあります。私の人生の全てが、神と共にあります」と告白し、信仰の一本道をしっかりと歩み続けましょう。神の愛と恵みは、あなたに注がれています。

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