よみがえりの主が与えてくださるもの

ヨハネの福音書20章19節~23節

・…イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」


先週はイースターでしたが、イースターは先週で終わったのではなく、先週から始まったのです。どのような状況にあっても主を礼拝する生き方から離れず、復活の主の恵みをいただいて前進しましょう。

現在、この松山もコロナウィルスの厳しい状況下にありますが、教会はいつでも開いています。聖日は朝6時の礼拝から夕拝まで4回の礼拝がありますし、同時中継もあります。主を礼拝する生き方から離れず、それを貫いていきましょう。

今日の癒しの礼拝では、よみがえられたイエス様が与えてくださった3つの大切なことについて確認しましょう。それによりイエス様を裏切った情けない弟子が使徒と呼ばれ、聖霊による御業が現されて、病める者は癒され、力強い教会が誕生したのです。

1.平安が与えられた

十字架でイエス様を失った弟子たちは、集っていることがユダヤ人たちに見つからないよう、不安の中で隠れて暮らしていました。

その時、よみがえられたイエス様が突然その場に現れて、「平安があるように」と言われました。

私たちは今、イエス様を礼拝することで迫害を受けることはありませんが、コロナや仕事、人間関係、お金のことで不安や恐れの種は尽きません。

その最たるものは、死でしょう。その死の力を克服し、よみがえられたイエス様が私たちと共におられ、平安を与えてくださっています。

だから、クリスチャンが不安の中に生き続けるということは、実は有り得ません。私たちは必ず平安をいただくことができるのです。

2.新たな使命が与えられた

隠れていた弟子たちは、絶望して抜け殻のようになっていでしょう。自分たちもいつイエス様のように捕らえられるかと不安に陥り、イエス様を裏切った罪責感もあったでしょう。

そのような中で、イエス様は「あなたがたを遣わす」と言って弟子たちに新しい使命を与えてくださいました。その後、弟子たちを通して教会が誕生し、彼らは大活躍をしていきます。

私たちも十字架と復活のイエス様を信じると、新しい使命が与えられ、とてつもなく大きな人生が動き始めます。その使命をいただいて元気に生きていかなければなりません。どのような状況の中でも、常に力強く前進しましょう。

3.聖霊が与えられた

イエス様は「聖霊を受け、罪を赦しなさい」と言われました。聖霊とは、イエス様の内に働いていた神の御霊のことです。この聖霊が私たちに注がれて強められ、私たちが人々に罪の解放を宣言し、癒しを祈るなら、そのようになるのです。

十字架と復活のイエス様によって平安、使命、聖霊が私たちに与えられました。これらは単なるイメージや概念などではなく、具体的に私たちの人生に働いているのです。

イエス様が弟子たちと生きた時代から、時間も場所も遠く離れた2021年の日本で、私たちはなぜ教会に集うのでしょうか。それは、使徒たちが体験した聖霊の力が今も働いているからです。

私たちが今日祈る時、よみがえりの主によって与えられた、何があっても微動だにしない平安と使命、聖霊の働きによって、人々は罪赦され、悪霊から解放され、病から癒されるのです。

4.神の愛が常に注がれている

誰もが愛を求めますが、愛は見つからず、誰にも愛されないと嘆く人もいます。

しかし聖書は、「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです(Ⅰヨハネ4:9)」と語り、救い主イエス・キリストによって現され事実となった愛が、ここに存在すると断言しています。

人の愛が不確かで弱いことを感じますが、私たちの人生の道には、神の愛があります。

「私の人生は、あなたの御前にあります。私の人生の全てが、神と共にあります」と告白し、信仰の一本道をしっかりと歩み続けましょう。神の愛と恵みは、あなたに注がれています。

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