二倍の祝福
イザヤ書 40章1節~5節
「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」とあなたがたの神は仰せられる。「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けたと。」荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。このようにして、主の栄光が現わされると、すべての者が共にこれを見る。主の口が語られたからだ。」
2021年の教会のテーマ、「Rebuild! あなたの信仰生活を再構築せよ」。エリヤは、バアルの預言者との戦いと大勝利の前に、壊れた祭壇を建て直しました。
同じように、イザヤ書40章以降には、罪のゆえに、国を失い、エルサレムの神殿を焼失して捕囚の民となるイスラエルの人々に、失われたものを取り戻して余りある二倍の祝福が与えられ、国も神殿も再建される、回復の預言が語られているのです。
私たちも失われた世界に生きています。コロナのことでも、多くのものが失われています。健康、命、夢が失われ、経済、人間関係、そして信仰生活にも大きなダメージ、マイナスの影響が及んでいます。
この曲がった時代、失われた世界の中で、どう生きるのか、神の声、主の言葉を聞きたいと思います。
「慰めよ。…二倍のものを主の手から受けたと」。
1.「二倍の祝福」を信じる
「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」(40:8)。神の言葉を信じましょう。
「二倍の祝福」を信じましょう。なくした、失った、そのマイナスの二倍の祝福が与えられるのです。主は、私たちが失ったものを補って余りある二倍の祝福を与えられる方です。信じましょう。
ヨブは全ての財産、家畜、子どもたち、健康を失いましたが、「主はヨブを元どおりにし、さらに主はヨブの所有物をすべて二倍に増された。…主はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された」のです(ヨブ42:10,12)。
コロナによる、想定外のマイナス…、それが元通りになるどころか、思いもよらない素晴らしいプラス、祝福、幸せになるのです。
二倍の祝福です。信じましょう。苦難があふれても、主は慰めで満たし、私たちの受ける慰めで、同じ苦しみにある人々も慰められるのです(参照Ⅱコリント1章)。
自分一人の慰めではなく何倍もの慰めと祝福が与えられるのです。二倍の祝福を受けて、苦難に会う前より、私たちはもっと神に近づくのです。
罪の増し加わる所には恵みも増し加わるのです。荒野、砂漠に、道が、川が設けられ、見たこともないマイナスは、見たこともないプラスに変わり、主は言われるのです、「見よ。わたしは新しい事をする」と。
二倍の祝福を、私たちは主の手から受ける、いえ、すでに「受けた」と信じましょう。
2.「二倍の祝福」を語る
失われた世界、マイナスの現実の中で、私たちは、世の中の人々と同じように恐れてマイナスを語るのではなく、二倍の祝福を信じて、希望を語りましょう。
砂漠のように失われたマイナスの世界の中で、「荒野に呼ばわる者の声」として、希望を語り続けましょう。
命を失うマイナスとしか見えない十字架によって、二倍どころか無限大の祝福、永遠の救いを与えてくださる主を語りましょう。
私たちはその祝福を主の手から受けた、あなたも受けませんか、と語りましょう。不安に満ち、希望に飢え渇いている人々に、二倍の祝福を、希望を語りましょう。私たちは、教会は、ここに希望があると、語り続けていくのです。
主は探し求めておられます、「この失われたマイナスの時代の中でも、本気でわたしの約束を信じ、二倍の祝福を語る教会は、クリスチャンは、どこにいるのか」と。
「わたしは必ず彼らに二倍の祝福を与えよう」と。信じましょう。語り続けましょう。
「二倍の祝福を主の手から受ける」、いえ、すでに「受けた」と。