試練・困難の中で忘れてはならないこと

ヘブル人への手紙12章7節~13節

訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょか。…霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは…悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。…


この半年余り、コロナウイルスによって大変な苦難、大問題がもたらされています。でも私が今日の礼拝で分かち合いたい事は、コロナウイルスが多くの困難をもたらしたからといって、それで私たちが弱り果ててしまわない事です。

むしろ、その困難を通して神は私たちを強くして下さいます。マイナスの出来事を、大きなプラスへと転じて下さる神の恵みがある事を知りましょう。

「私は世に勝っている」とイエスは約束して下さっています。ですから、マイナスの力の中にあっても、私たちは世に勝つ信仰の秘訣が与えられています。

今日の聖書箇所から、どのような困難にあっても絶対に忘れてはならない信仰の原則を、3つのポイントを通して確認してまいりましょう。

1.私たちの人生は神のご計画の中にある

まず、7節から8節に注目しましょう。コロナ禍にあってあなたが直面する厳しい状況は、神のある種の懲らしめであり、神がこの厳しい状況を用いようとされている事に気づきましょう。

子どもをしつけない親がいるでしょうか。叱るべきところでは子どもを叱り、懲らしめるところでは厳しく懲らしめるのは当然です。その懲らしめは無責任な虐待などではなく、神の言葉として聖書に記されているものです。

神は、私たちを救い永遠の命へと導いて下さる父なるお方です。その神ご自身が、私たちの生活の中に試練を許しておられるのなら、それは神のご計画の中にある試練であり、私たちが受け止められる範囲の懲らしめです。

クリスチャンである私たちが本当の勝利者となるよう、神が鍛えて下さっている事に感謝しましょう。神への信頼を忘れない事です。

2.試練を通して豊かな実が結ばれる

11節に書かれているように、どんな試練であっても、神の御心とご計画の中で私たちがその試練に向き合うならば、必ず信仰よって豊かな平安な義の実を結びます。試練は単に辛い出来事では終わらず、信仰の実りを私たちにもたらすのです。

コロナ禍において私は、単に怯えるのでなく、むしろ神に期待しています。政治家たちは、現在の状況を「100年に1度の大変な試練だ」と言っていますが、そこを信仰を持って歩み通すならば、必ず豊かな実を結ぶ事ができると信じます。

困難の中でこそ、本当に大切なものが浮かび上がってくるからです。今の世の中は、悪の力がはびこっています。悪魔に翻弄される事なく、神の御心に適う聖い平安の実を結ぶ事をいつも心掛けておく事が大切です。

それがあなたの心の平安を守り、それによって人生が祝福されるのです。コロナ禍においても、神の義の実を結ばせて頂ける事に感謝しましょう。

3.困難に対して神の力によって立ち上がる

12節に「弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい」とあります。弱気にならず、神の力により立ち上がりましょう。

不安を感じる時はイエスの御名によって勝利を宣言して祈り、信仰を持って前向きに乗り越えましょう。主と共に戦う事を体験しましょう。

この初代教会の時代にも、様々な試練と困難がありました。その中で使徒たちは、神の力によって立ち上がろうと信徒たちに書き送りました。私たちも、この秋の歩みの中で神の力を頂きましょう。

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