今も約束を守られる神

コリント人への手紙第二6章16節~7章1節、ガラテヤ人への手紙3章13節~14節

…「わたしは彼らの間に住み、また歩む。…汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、…わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる…」…私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。
キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。…このことは、…私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。


2020年の後半が始まりましたが、2020年の全てを、コロナウイルスに振り回されることがありませんように。

私たちの人生で、目に見えるものに頼ろうとすれば、どこまで行っても確かな平安は得られません。私たちが守られ、平安であるという確信はどこから来るのでしょうか。

それは、神様から来るのです。私たちがどこにいても、いつでも神様が共におられることを知るときに、平安が得られるのです。主イエス・キリストが共におられるとき、私たちの人生は最善のものに導かれていきます。怖がって怯えて、人生の恵みを委縮させないようにしましょう。

先週は、「インターナショナルデー」の聖日でした。プレイズフェローシップの兄姉たちが中心となって企画、進行してくださいました。彼らにとって日本で生活することは、言葉や生活習慣や食べ物など、あらゆる面で私たちの想像以上に難しいことだと思います。

そんな中で、神の家族として教会で一緒に礼拝を守り、今回は単なるゲストとしてではなく、中心になってくださったことが嬉しくて、感謝でした。これからの教会も、よい意味での変化と成長を神様から与えられていきたいと思います。

最近のニュースで、中国と香港、北朝鮮と韓国、ロシアの話題を見ると、国同士の大切な約束も簡単に変えたり、反故(ほご)にしたりしています。人間はいつまでも同じではいられず、変化もします。

そんな時、弱くていい加減な私たちであることを実感します。しかし、私たちを愛して救ってくださった神様の恵みと約束は、この瞬間も真実であり、変わりません。

今日は、聖餐式です。救い主イエス・キリストが私たちの罪を背負って十字架で身代わりとなって死んでくださいました。そのイエス様を自分の救い主であると信じて受け入れるなら、私たちの罪は取り除かれ、清められ、神の子としていただけます。

それだけでなく、永遠の命までも与えられるのです。私たちの不安や苦しみの根本が、救い主イエス・キリストの恵みによって取り除かれていることを感謝しましょう。

今も変わらない神様の約束を、今日の聖書の個所から学びましょう。

1.恵みの約束

私たちを選び、私たちの神となって共にいてくださる神様は、私たちを神の家族としてくださると約束してくださいました。約束が簡単に破られるこの世にあって、偉大なる全知全能の神様が私たちと共におられるという約束は、私たちに与えられている大きな祝福です。

私たちがどんなにいい加減であったとしても、神様は完全で、変わることはありません。決してその約束を反故になさることはないのです。

2.救いの約束

イエス・キリストは、私たちの罪を清めるために十字架で死なれました。当時、十字架にかけることは、とんでもない罪を犯した呪われるべき者を罰する方法でした。

イエス様ご自身が呪われた者となって十字架で死んでくださったことは、私たちの罪の身代わりとなって私たちを清めるためでした。イエス様の十字架の死によって、私たちの救いは成就したのです。

7月の日々の歩みを喜んで感謝するとき、神様から約束の御霊が注がれます。神様との恵みの約束の中をしっかりと歩んでまいりましょう。

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