私たちが喜び感謝すべき理由
マタイの福音書18章11節~14節
人の子は、滅んでいる者を救うために来たのです。…もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。
新型コロナウィルスが世界中に蔓延し、特にヨーロッパでは医療崩壊、社会混乱が起きている国もあります。我が国は守られ、踏ん張っている状態ですが、過度に自粛し、恐れ、不安の中で生きていると、私たちの命、元気のレベルが低下します。衛生管理に十分配慮しながら、心の中に感謝と喜びを頂いて前進してまいりましょう。パウロは「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」(ガラテヤ2:20)と語りました。私たちもクリスチャンとして、イエス様が私のうちに溢れますように、霊的な成長を求めてまいりましょう。今、世の中で愛が冷えています。先日も、小学生の我が子を虐待し、死なせた父親の裁判がありました。何日も御飯をあげず、冬の寒い日に水をかけて死なせてしまう・・・。信じられません! 親としての喜びはなかったのか、母親、祖父母、周りの人たちも何か体を張って守ってあげられなかったのでしょうか。今日開いた箇所から、だれ一人として滅びず、その救いを喜んでくださる神の愛が注がれていることが分かります。
1.人の子は滅んでいる者を救うために
主は100匹の羊がいて、そのうちの1匹が戻って来なかったら、迷った1匹を探しに出掛けないでしょうかと問われ、そして言われました。「人の子は滅んでいる者を救うために来たのです」と。99匹がいるから、もういいとか、明日捜しに行くではなく、絶対、放ったらかしにしない、必ず捜しに行く。イエスは迷った1匹の羊を、一生懸命、探し出す羊飼いのように、私たちを見い出し、救ってくださいました。ここに喜ぶべき大切な事実があります。私たちを救うために、どんな労をも厭わない、強い強い愛で、愛してくださっています。このことを本当に喜び、感謝したいと思います。
2.私たちを捜し出し、喜ぶ主
迷わなかった99匹の羊以上に、この1匹を喜ぶと言われる主は、私たちの救いを喜び、神の愛を注いでくださいます。「この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません」(14節)と言われる主は、だれ一人として滅びたり、悪魔の力によって地獄に落ちることを願ってはおられません。一人でも多くの人が救われることこそ、神のみこころです。毎日の生活の中で、辛いことがあって、落胆し、私なんかいなくてもいい…、なんて思う時があっても、落ち込まないで、たとえ自分は小さくても、そんな私のために、どんな労をも厭わず、命まで捨ててくださったお方に、選ばれ、救われ、喜ばれている一人一人であることを思い起こしましょう。この小さな私を神は愛し、それを事実とするため、イエスがこの世に来てくださり、救いの道を実現し、十字架とよみがえりを成就してくださいました。そして、それを良しとされる神様がいます。
イースターを前に、この恵みや愛を、もう一度、思い起こしましょう。こんな小さな私を愛し、どんな犠牲を払っても捜し出し、救われたことを本当に喜んでくださる救い主、御自分の命まで捨ててくださった救い主が与えられていることを心から感謝したいと思います。今、世の中の不安や恐れの中にあっても、実は、飛び上がって喜ばなくてはいられないほどの神の愛、恵みを頂いていることを思い起こし、祈りつつ感謝しつつ、春の日々を歩んでまいりましょう。