“恵み”をテーマとして歩もう

ピリピ人への手紙4章18節~19節

私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。


昨日の午前に、マレーシアより戻って参りました。マレーシア伝道のために祈っていただいたことを感謝します。今回は、ボルネオ島にあるタンパルーリでの癒しの特別集会、コタキナバルでの礼拝、そして神学校スクールオブアクツでの集中授業を行ってきました。
今回初めて行ったタンパルーリの集会は、現地の一番大きな教会の中で合計4回の特別集会を行いました。癒しの祈りの中では、膝の痛みによって階段の上り下りがまともにできなかった姉妹が癒され、ステージの上で証しをしてくださいました。その後も、彼女はステージの階段を何度も上り下りしているのです。癒されたことが嬉しくてたまらない様子でした。このような大きな集会が開かれることが初めてに近いようなその町で、集会に集まった人々が喜んでいる姿を見て、神様がこの地の人々を満たすために集会を開いてくださったことを感謝しました。
今日の聖書箇所は、パウロがピリピの教会の人々に宛てて書いた手紙の締めくくりの部分にあたります。パウロはピリピの地で、神からの恵みと、人々が喜んでいる信仰の姿を見ました。それによって満たされた彼の魂は喜びました。そして彼は、ピリピの教会の人々のために祈りました。彼が信じている神は恵みの神で、今も働いている祝福の神であり、天の豊かな倉から必ず祝福を注いでくださるお方です。この神により、あなたの必要は満たされるのだから、あなたの祝福を祈りますと、パウロは語ったのです。
この秋の日々が動いていく中で、この聖書の語っている言葉を、自分の心の中に大きな柱として受け止めて歩んでまいりましょう。

1.恵みを数えて感謝する

1つ目の柱として、私たちは神から与えられた恵み、感謝を数える信仰を持って歩みましょう。私ごとですが、先週は私の誕生日で、還暦を迎えました。多くの方からお祝いのお言葉をいただき、本当に感謝しました。私たちは、これまでの人生を振り返ると、いいことばかりが起こる、楽しくて仕方ない毎日の連続だったと思える人は、1人もいないと思います。ですが、34年になる私の牧師としての働きの中で神様から強く教えられたことは、この18節のお言葉「私は、満ちあふれています」ということです。単なる品物やお金があるということではなく、共に神を信じて歩む兄弟姉妹から受ける恵みによって、私は満ちあふれています。そのように恵みを数え、感謝して生きていく者でありたいと思わされます。

2.人々のために恵みを信じて祈る

2つ目の柱として、家族や職場の人、教会の兄弟姉妹などの周りの人々のために、祝福や恵みを宣言して祈っていく者でありましょう。あなたの周りの人々の抱える問題がどのようなものであれ、神にあって必ず前進できる、神の恵みが周りの人々に豊かに溢れることを先取りして、「あなたの経済の必要が、人間関係の解決が、病の癒しが、そして祝福が与えられることを祈ります」と、周りの人々の祝福を祈り求める者として生きていきたいと願います。
神の祝福が現されることをいつも祈り、神の恵みの震源地になろうではありませんか。この一週間、自分に与えられた恵みを感謝し、周りの人々のために祝福と恵みを祈ってまいりましょう!