イエス様と言うお方

それから、イエスは、ペテロの家に来られて、ペテロのしゅうとめが熱病で床に着いているのをご覧になった。イエスが手にさわられると、熱がひき、彼女は起きてイエスをもてなした。夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみなお直しになった。これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」
                    マタイの福音書8章14節~17節

今日の礼拝で神の明確な語りかけを聖書のおことばを通してはっきりと聴いてまいりましょう。マタイの福音書8章~9章にはイエスの悪霊追放と病人の癒しの物語が記されています。けれど、これは単なる奇蹟の物語ではなく、イエスの愛とご配慮を現す物語なのであります。今日の聖書箇所からイエスがどのようなお方かということを3つのポイントから学びたいと思います。

1.私たちを見ていてくださる

今日の聖書箇所では、ペテロのしゅうとめが熱病で床に着いているのをイエスがご覧になっていることが記されいます。その他にも8章、9章には、「イエスは群衆が自分の周りにいるのを見て」(8;18)「イエスは彼らの信仰を見て」(9:2)「マタイという人が収税所に座っているのを見て」(9:9)「イエスは振り向いて、彼女を見て言われた」(9;22)等、「イエスが見た」場面が数多く記されています。そしてイエスがご覧になった後、必ず彼らに変化が起こっている、このことにしっかり着目したいと思います。聖書にある通り、イエスは私たちをご覧になり、深く目を留めてくださり、様々な私たちの状況、必要を知っておられる、そういう形で私たちを見ておられるのです。イエスは私たちに対して何かの目的を持ち、計画を抱き何かを成さろうとされているのです。

2.関わりを築き私たちに触れてくださる

また、「イエスは彼女の手に触られた」(8:15)と記されています。「らい病の彼に触り」(8:3)、「私について来なさい」(9:9)と関わりを求められ、「食卓に着いていた」(9:10)では、関係を築いていることを現しています。長血をわずらっている女には、わざわざ「振り向いて」(9:22)イエスは彼女との関わりを築こうとされました。「盲人たちの目にさわり」(9:29)、彼らの目が開かれました。沢山の癒しの物語が記されていますが、それらが、単なる病気治しではないことがわかるでしょう。イエスは、彼らと関わろうとしてくださったのです。イエスが私たちに関わり、触れてくださると特別なことが起こるのです! 悪霊が追放され病が癒され私たちの問題は解決し必要が満たされていくのであります。

3.私たちの身代わりになってくださる

なぜ、イエスが触れて関わると彼らは癒されたのでしょうか? それはイエスが身代わりになってくださったからなのです。イエスが全ての呪い、重荷、煩い、病いを彼らに代わり背負ってくださったから癒されたのであります。イエスは私たちの代わりになってくださるお方です。イザヤ53:4-6にある通りです。イエスは罪のために刺し殺されました。けれど本当は罪のために刺し殺されなければならないのは、私たちでした。イエスがその代わりとなってくださったのです。本当なら罪咎等の罰は自分が負うべきもの、償いも自分がすべきこと、けれどイエスが代わりとなって、十字架の上で私たちが受けるべき罰を受けてくださった、私たちの償いをご自身が成し遂げてくださったのです!
ですから今週もこの素晴らしい祝福、恵みを自覚してイエスに向き合い、イエスとの関係に生きイエスに心から感謝して歩んでまいりましょう。