あなたは祝福された者です
…モアブはイスラエルの民が多数であったので非常に恐れた。…ツィポルの子バラクは当時、モアブの王であった。…ペトルにいるベオルの子バラムを招こうとして使者たちを遣わして、言わせた。「…いま来て、私のためにこの民をのろってもらいたい。…私は、あなたが祝福する者は祝福され、あなたがのろう者はのろわれることを知っている。」…神はバラムに言われた。「あなたは彼らといっしょに行ってはならない。またその民をのろってもいけない。その民は祝福されているからだ。」
民数記22章1節~12節、23章7節~12節、24章1節~13節
今日の聖書箇所から「あなたは祝福されている」、このことをしっかり確認したいと思います。
1.神は導き祝福してくださる
イスラエルの民が、エジプトから出て約束の地に向かう旅の中では、様々な困難がありました。この聖書箇所には、モアブの王がバラムを雇い、イスラエルの民を再三呪わせようとしましたが、神は決して彼らを呪わずに祝福してくださったことが記されています。
2.私たちは祝福される者である
神は「イスラエルの民を呪ってはいけない」とバラムに告げ、モアブの王の使いにバラムはそのことを告げます。しかしモアブの王は引き下がらず、何とか呪わせようと再びバラムのもとへ使いをやります。その時神はバラムに、「神が告げることだけを語るように」と釘を刺して言われました。そしてバラムはモアブの王のところへ出かけます。けれどその道中、バラムの心の中にモアブの王は、私に何の御礼をしてくれるかとの思いがよぎりました。するとろばが全く動かなくなり、そこに神の使いが現れ、「もしもろばがそのまま進んでいたらわたしはあなたを殺しただろう」と言われます。そして、神の言葉だけを告げるよう、再び釘を刺されました。バラムは神の言われることを忠実に守り、イスラエルを呪うことをしませんでした。神の祝福を、誰も覆すことはできないからです。
3.神に選ばれた者は祝福された者である
イスラエルの民は神に対して不満を言う民でしたが、神はこの民を祝福されていました。彼らは神が祝福されていることに気付きませんでした。私たちは祝福される者であることをはっきり自覚しましょう。私たちは人生に何があろうと間違いなく祝福されるのです! 祝福されることを信じることができさえすれば、あなたは、間違いなく祝福されるのです。神はあなたを祝福されるために全ての手筈を整えておられます。でもそれをあなたが信じ感謝して生きなければ、その恵みはあなたのもとへは来ないということを認めなければいけません。
モーセは80才の時、イスラエルの民を導き、エジプトから脱出しました。それは神が共におられ、祝福してくださることを自覚できたからです。ギデオンもマリヤも、聖書には神を信じたことで大いなる祝福を頂いた人々が登場します。神に選ばれた者は、祝福された者であるという自覚を持つことは、私たちが持たなければならない心構えであることを覚えなければなりません。イエスの十字架の贖いを通し、私は救われている者である! だから最高の人生を歩むことができるのです!
神がイスラエルの民を、彼らが知らないところで守り、支え、祝そうとされているのに、彼らはそれを信じることができずに恵みを失っていったのです。そんな人生を私たちは絶対に歩んではいけません。
神が私たちの知らないところでイエスの十字架によって罪を取り除いてくださった。だから私は、どのような困難な中にあっても、最高に幸せな人生を歩ませていただけると信じることです。私の人生の歩みに神の祝福と恵みは尽きることがないと信じて祈りましょう。