神の恵みの業に富む者
私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。…ことばに表わせないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。 コリント人への手紙第二9章6節~15節
ゴールデンウィークに入りました。休みの多い1週間ですが、単に休みの多さではなく、私たちの心が喜んでいることがまず幸せの一番の基本です。仕事を休むことができない人もいるかもしれません。しかし忙しさの中でも私たちは喜びを頂くことができることを感謝しましょう。明日のバザーは私たち全員が主催者です。イエス様にあって喜び仕え、祝福の震源地となりましょう。
奉仕し、与え、捧げることの素晴らしさは、実は2000年間の教会の賜物です。今日の箇所で、パウロが語ったことがまさにそれです。コリントは、ギリシャの商業の盛んな豊かな町でしたが、ギリシャの北側にあるマケドニアの人々は貧しく、飢えていました。貧しい教会を支えるために、パウロたちが捧げることをアピールし、コリントの教会から献金と奉仕者が与えられることになっていました。しかし、その熱意が失われ、捧げ物は先延ばしにされていました。
1.幸せの秘訣
そこでパウロは、「あの熱心な信仰をもう一度思い出してください」と言い、「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取る(6節)」という有名な言葉を語ったのでした。私たちの信仰生活も、まさに種まきのようなものです。恵みや幸せはいきなりくるものではなく、仕えること、捧げることを通して信仰の種を少しでも蒔いておくことだ、とパウロは語っているのです。
2.本当の幸せな姿
今日特に注目するのは8節。「…すべての良いわざにあふれる者とするために」とあります。ここには、シンプルですが、幸せの法則が書かれています。神はあなたをすべてのことに満ち足りる者とすると書かれています。これは、私たちが一般に求める幸せな人生です。しかし、聖書が語るのはその先、すべてのことに満ち足りている人はすなわち、すべての良いわざにあふれている人である、ということです。これは、聖書のユニークな表現です。満ち足りて幸せになるということは、イコール、神の前ですべての良いわざであふれる者となることだということです。良いわざとは、人々を愛すること、与えること、仕え合うこと、赦すこと、イエスの救いを宣べ伝えて証しをすることなどで、それらの良いわざにあふれる人が、すべてのことに満ちあふれている者であり、これがクリスチャンの目指す幸せな人生の基本なのです。
3.恵みが止まることなく流れる秘訣
経済的に満たされたなら、その経済を用いて神の働きのために捧げ、与えること。元気で体力的に満ち足りているなら、その体力を用いて人々のために仕えることができます。私たちが、本当の幸せの姿を描いて、自分がすべての事柄に満たされることを求めるのは、満たされるだけではなく、神に喜ばれるわざに励むことができる者になるのを求めることなのです。そのクリスチャンとしてのバランスの取れた幸せの姿を求めるなら、神は、成長やありとあらゆる恵みをあふれるばかりに与えてくださいます。
クリスチャンは、愛し、赦し、与えることができます。そういう人生を実現するために、神は、素晴らしいものを与えてくださいます。神に出会った者として、本当の幸せの姿を求めて、クリスチャンらしく喜んで前進していこうではありませんか。