どうしても必要なことはみことばに聞き入る事です

…イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。…私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」主は答えて言われた。「…あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことは…一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」          ルカの福音書10章38節~42節

私たちには心配事は山ほどあって、なかなか落ち着いて過ごすことができない現実があります。しかし、そのような中にあっても私たちが本当にしなければならないことはただひとつ、「神のみことばに耳を傾けて生きる」ということであって、これ以外にはないということを改めて学びたいと思います。

1.神の御言葉にとことん従う

ダビデは、「私は私の前に主を置いた」と告白しています。彼は神に聞くということをとことん大切にしました。とにかく自分を神の前に置いて、神の言われることに従うことを選び続けていくのです。神の声はいつもあなたに響いていますが、それをなかなか聞くことができない、聞こうとしないという現実があります。しかし、神に聞いて生きていく以外に、私たちが祝福される道はない、ということを知らなければなりません。イザヤ書では、「救い主が不思議な助言者としてこの世に来てくださる」と預言されています。確かにイエスがこの地上で人々に語られた言葉は、不思議な言葉でした。でもその言葉に耳を傾け、聞く者は救われ、恵みをいただいたのです。私たちは、自分が理解できるから、自分が納得できるから、という自分本位で御言葉を取捨選択するのではなく、たとえ自分の思いや願いとは異なるものであったとしても、イエスが語られた言葉であるから耳を傾け、聞き、どこまでも従っていく者でありたいと思います。

2.神のみことばを聞くことを選び続ける

マリヤはイエスの前にひざまずいて、イエスの話を聞いていました。周囲になんと言われようと、とにかくイエスの語られることばを聞くという姿勢を彼女は持ち続け、そのように行動したのです。マリヤのように神のお言葉をしっかり聞くということが、私たちが
恵みをいただける秘訣であることを知りましょう。
私たちは、ひとりで悶々とし、どうすることもできなくて、苦しむことがしばしばあります。そのような時でも、神の言葉を聞き続けていく者でありたいのです。聖書を読み、神に聞く。神の御言葉に耳を傾けさえすれば、神はあなたを導いてくださるのです。
マリヤの姉のマルタは、イエスのお世話をすることに一生懸命でした。人間的にはそれも大事なことでしょう。しかしそのマルタに対して、神の言葉を聞くこと以上に大事なことはない、とイエスは言われました。それこそが私たちがどうしてもしなければならないことなのです。自分はどう生きたらいいのか、神は何と言われているのか、私たちは本当に聞き続けなければならないのです。
人間ですから、弱さもあり、失敗もたくさんするでしょう。しかし神に聞こうとする者を、神は必ず導いてくださいます。この一年、神の言われる言葉に耳をしっかり傾けていただきたいと心から願います。心配事や悩みは、マルタのように山ほどあります。でもとにかく聞く、とにかく礼拝を守る、とにかく聖書を読む、とにかく耳を傾けてみようとする、その姿勢さえ持つなら、神の恵みは必ずあなたに注がれます。
絶対に、神はあなたを見放したり見捨てることはありません。神に聞きさえすれば、あなたの上に神の祝福は絶対に尽きることがありません。人の言うことではなく、また自分の思いではなく、神が言われることに耳を傾ける、ただ神が言われること、聖書が語る御言葉に耳を傾けていきたいと心から願います。