天から下った命のパンをいただこう

…イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。…わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行なうためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行なうためです。わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。…わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」               ヨハネの福音書6章32節~40節

インド伝道のために、兄弟姉妹が昼夜を問わずお祈りしてくださったことを心から感謝します。皆様のお祈りによって、神は現地において素晴らしい御業を現してくださいました。現在インドでは、ヒンズー教至上主義の政権によって、外国人の説教者の入国や活動が大変制限され、危険と紙一重の難しい中でしたが、すべて守られて、現地の先生方やクリスチャン、偶像崇拝から悔い改めていやされた方々に喜ばれ、素晴らしい主の働きを思い切りさせていただくことができました。3日間の野外集会にも多くの人々が集まり、最終日には3000名ほどの集会となり、今回も多くの病のいやしや霊的解放の御業が現されました。政府からの厳しい迫害の中で、キリスト教会や孤児院が閉鎖に追い込まれる中、タンカチャン先生はティルベロール周辺で200の教会を守っています。そういう状況下で日本からの伝道が、現地のクリスチャンたちにとってカンフル剤になり大いに励まされていると先生方に感謝されました。
インドと日本で言葉は違っても、人間として命を与えられた者ならば必ず、救い主イエスの恵みがあることを感謝しましょう。聖餐式にあずかるにあたって、3つのことを確認しておきます。

1.イエスはいのちのパン

イエスは、2000年前の歴史の中の偉大な方で、単にキリスト教の教祖で話が素晴らしかったとか、いやしの御業をなさったというのではありません。イエスは「天から下って来たいのちのパン」であり、生きるすべての人に命を与えるお方です。現在、地球上には70億の人々がいて、その中には素晴らしい能力や才能を持った人がいたとしても、「救い主」と呼ばれるお方はただイエスお一人です。私たちはこの真理を知らなければなりません。聖餐式でパンを食べ、ぶどう酒を飲んで、私たちの内側にイエスをお迎えして、深いお交わりを手にしたいと思います。

2.決して渇くことのない魂の恵み

私たちを喜ばせるものは、世の中にもたくさんありますが、永遠に続くものはありません。しかし、イエスが与えてくださる救いは魂にまで及び、渇くことのない恵みで満たしてくださいます。「しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」(ヨハネ4:14)。イエスによって魂が満たされ、私たちの存在の根本からの喜びが与えられるのです。

3.永遠の命をいただく

ヨハネの福音書はほかの福音書に比べて、救われることによって目に見えない霊の世界、永遠の世界へと道が開かれることが繰り返し語られています。今の世の中は、すべてのことにおいて刹那的で、今さえ良ければという、その場しのぎのことを追求します。しかし、聖餐式で、十字架上で裂かれたイエスの体と流された血をあらわすパンとぶどう酒をいただくことによって、たとえ地上の命は終わっても、神のもとで住まう永遠に続く命をいただいている恵みを感謝しましょう。単なる儀式としてではなく、この聖餐式でイエスに結びつく永遠の命をいただき、3月が生き生きとした春の日々となりますようにお祈りしましょう。