主キリストの血による恵み

…私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。…私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。…しっかりと希望を告白しようではありませんか。また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、…ますますそうしようではありませんか。
                ヘブル人への手紙10章19節~25節

今日は母の日です。もし忘れていたら、今からでもお母さんたちに感謝を伝えましょう。この母の日は、世界中で広く祝われていますが、元々アメリカの教会から始まり、当時の大統領令として5月の第2日曜日が母の日として制定されました。その後、父の日も教会から世界中に広まりました。アメリカは、建国以来2百数十年の中で、4回の大リバイバル運動があり、この記念日が制定された時は、3回目のリバイバル運動の中でした。そのためこの習慣が世界中に広がったのです。そして、これから日本の社会を変えていくのは私たちの教会、これを信じて前進しましょう。
私たちの交わりとは、父なる神、御子なるイエス・キリストとの交わりです。私たち一人ひとりが、イエスと結びつくことによって、それぞれがイエス・キリストを通して交わるのです。主キリストによって与えられた繋がり、交わりが、私たちの人生にあることを喜びましょう。聖餐式を前に、主の血潮により与えられた3つの大きな恵みを確認しましょう。

1.イエスの血潮によって救われた

旧約の時代には、民の代表である祭司が神殿で神を礼拝し、そこにある幕を通って最も神に近づく至聖所に入ることができたのは、大祭司と呼ばれる人だけでした。
しかし、イエスが来られたことにより、すごいことが起こりました。イエスの血潮を通るなら、神が共におられるいのちの場所、至聖所に誰もが入ることができるようになったのです。このイエスこそ本物の大祭司であり、イエスの十字架の血潮で救われ、私たちも神の臨在に触れることができるのです。聖餐式を単なる儀式としてお茶を濁すことがないように、信仰を持って感謝して受け止めましょう。

2.新しい生き方が与えられている

私たち人間が生み出すものはいつも色あせ、限界があります。しかし、洗礼を受けてクリスチャンとして歩む者は、色あせない希望を告白する生き方、死の向こう側にある永遠のいのちの喜びと平安、希望を持って生きることができます。
聖餐式でイエスの十字架の恵みに与(あずか)る時、どんなに弱い私でも揺るがない、いつも希望と信仰を告白できる、強い新しい生き方を与えられていることを感謝しましょう。私たちは弱くても、私たちと共におられるお方は強い、と聖書に書かれているこの新しい生き方が与えられていることを喜びましょう。

3.信仰による交わりが与えられている

救われるということは、兄弟姉妹と共に歩む生き方が与えられていることでもあります。自分が愛されるだけでなく、愛に満たされた行いをお互いにし合えることを感謝しましょう。
この当時、せっかくキリストによって救われたのに、集まることをやめたり、わがままな人が出始めたようです。お互いに個人的なことは詳しく知らないかもしれませんが、その人もまた、イエスに愛された人であり、イエスを通して、主にある兄弟姉妹なのです。だから、教会を通して互いに交わるのです。イエスが私たちのために血を流し、救いを成し遂げられ、この方によって新しい生き方が与えられました。
聖餐式でイエスの愛をいただき、強められ、兄弟姉妹を愛して歩むことを告白して祈りましょう。