イエスさまの三つのことばに生きる
…わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。…あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。
ヨハネの福音書15章1節~8節
万代先生からのインド伝道の報告が連日届いています。野外での集会は、この4日間の集会では、「イエスの御名による祈り」というテーマで説教をされています。その中で毎日、多くの人が集い、たくさんの癒しの恵みがあらわされていることに感謝します。
今日読んだヨハネの福音書は、今年掲げているテーマ「Divine Connection」と関係の深い箇所です。ここでイエスは自身をぶどうの木に喩えられます。枝は繋がっていてこそ葉を茂らせ、花を咲かせ、実を結ぶことができます。でも、一見繋がっているように見えても、しっかり繋がっていなければ実を結ぶことはできません。繋がりの修復の秘訣は、イエスの言葉にとどまることです。この箇所から、とどまるべき3つのイエスの言葉を学びましょう。
1.互いに愛し合いなさい
この箇所は、最後の晩餐の時にイエスが弟子の足を洗った後の場面です。イエスは何度も「あなたがたは互いに愛し合いなさい」と仰います。イエスの教えの中で、「心を尽くし、思いを尽くし、力の限りを尽くし、主なる神を愛せよ、そしてそれと同じようにあなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」が一番大事だと言われる方も多いでしょう。確かにその通りですが、イエスは13章34節で、「新しい戒めを与えましょう」と言われ、それらを超える戒めとして「互いに愛し合いなさい」と言われたのです。イエスの愛は、愛する者を赦す愛ですから、私たちも互いに赦し合うべきであり、イエスが命を捨てて私たちに愛を示したように、私たちも命を捨てる覚悟で互いに愛し合うべきです。これが留まるべき第1の言葉です。
2.すべての人々に福音を宣べ伝えなさい
第2のイエスの言葉は、福音を宣べ伝えなさい。これは、牧師や伝道者という特別な立場の人だけではなく、クリスチャンすべてに与えられている使命でもあります。私たちは福音を伝えるために世に遣わされたキリストの証人です。私たちみんながインド伝道に出掛けることはできませんが、祈りをもって支えることはできる。みんなが牧師や伝道者になるわけではないけれども、教会での奉仕の中で伝道の働きは進められていく。私たちに与えられた、それぞれの歩み、それぞれの在り方で福音を伝えていく者でありたいと思います。
3.悔い改めて福音を信じなさい
私たちが留まらなければならない第3の言葉は、悔い改めて福音を信じなさいです。先の2つの言葉に留まりそれを実践することが、信仰生活の祝福に繋がります。しかし、実はそれ以前に最も切なことは、「悔い改めて福音を信じる」ことです。この前提がなければ、福音を宣べ伝えることはできませんし、互いに愛し合うことも単なる人間の愛に過ぎなくなってしまうのです。しかしこの悔い改めは、単に悪い行いを離れて良い行いをすること以上のもっと深い、存在そのものの方向転換、大変革を意味します。イエスは失われた人を探すために来られました。人間の行いではなく、神に見つけていただくのです。福音を信じ洗礼を受けた私たちは、すでに見つけられており、神と共に生きる者とされていると認めることです。この方向転換がなされると、神が共におられる恵みの中に生き、豊かな実を結ぶことができます。