今も実体験できる主のいやし
初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、――このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。――私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。… ヨハネの手紙第一1章1~4節
新緑が眩しい季節を迎えました。今日は癒しの礼拝です。第一ヨハネの御言葉をいただきました。ヨハネの手紙は、聖書学者によれば、イエスの復活から何十年も経て、ヨハネ自身か、あるいは、ヨハネの教えを弟子たちがまとめたとも言われます。何十年も経って書かれたその中で「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、また手でさわったもの」とあります。これはイエスが架空の人ではなく、歴史の中で生きて下さった御方、ということです。キリスト信仰は、単なる空想の宗教ではありません。ですから、私たちには希望があり、これが「いのちのことば」ということです。今朝、癒しの恵みを実際に体験できるものとして、受け止めてまいりましょう。
1.実際に体験できる恵み
救い主イエスが与えて下さる恵みは、見たり、聞いたり、さわったり、実際に体験できる現実的なものであると、聖書は語ります。主イエスを信じる信仰は、山のてっぺんで悟りを開いたり、人間の頭で作り出した、現実には、人々に何の助けも与えられない、無気力な信仰ではありません。四福音書にあるように、神である御方が人となり、神の言葉を語り、様々な必要や弱さを抱えた人々の間において、リアルな御業を成し遂げられました。よみがえりのイエスは、弟子たちに脇の傷に手を差し入れてみよと言われ、食事も共にされました。復活そのものがリアルなのです。主が病んでいる人々に、ふれて下さったように、私たちもふれていただけます。主の癒しの恵みを実体験できますと、はっきり信じましょう。
2.主イエスと交わる
私たちが、実体験することができる恵みをいただくには、どうすればよいでしょう。それは、天地宇宙
を造られた、創造主なる神に結び付くことです。人ではなく、父なる神、救い主なる御子イエスと結び付く時、癒しの力は与えられます。私たちのために、御自分の命まで捨て、死んで下さり、復活によって永遠のいのちを成就して下さった御子イエスと交わり、固く結び付けられることです。
3.証しし、伝道しよう!
2、3節に、証しをし、イエスの恵みを伝えますとあります。キリストにおける神の愛を知らされ、こんな私に対して、十字架にまで架かり、大きな犠牲を払って下さったという信仰の原点に立ち返る時、この恵み、感動を、誰かに証しし、伝えようというのが、クリスチャン信仰の本質です。聖書が教えるキリスト信仰は、証しと伝道の信仰です。使徒ヨハネの時代から今日まで、キリスト信仰は理屈ではなく、事実として体験するものです。神に直接結び付いて、神からいただいた恵みを一人でも多くの人に証しし、人々が救われることを望みます。21世紀もこの信仰の基本を忘れてはなりません。もし、あなたが、最近恵まれていないなら、自分のことしか考えない悪いパターンに陥っています。恵まれるためには、常に証しし、伝道していくことです。私たちの教会も、伝道する教会です。かつて伝道資金のなかった頃、みんなの真心を用いてバザーを開き、献金を生み出してきました。イエスは命まで捨てて、私たちに仕えて下さいました。さあ、今年も、心をひとつにして、主にお仕えし、イエスを証ししましょう。