本物の強さを持つ
そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。…私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。…「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる。…私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。…」
テモテへの手紙第二2章1節~13節
今日開いた箇所では、パウロがテモテに愛を注ぎつつ「恵みによって強くなりなさい」と語り掛けています。私たちの主も同じように、体力的な強さだけでなくて、本物の強さを持って生きる者になってほしいと心から願っておられます。本物の強さを持つ人となるために、4つのことをともに学んでいきましょう。
1.イエスの恵みによって強くなる
13節にあるとおり、私たちは時に不信仰に陥ったり、失敗や間違いを犯したりしてしまういい加減な者です。日常生活でも、運転で信号無視をする人や、飲食店に入った時には接客態度の悪い人がいて、「いい加減だなぁ」と感じることはよくあります。そんな不真実な私たちの強さなどは、全く当てにならないのです。しかし神は常に真実です。神からの恵みによって頂く強さは本物の強さです。1節に「イエスにある恵みによって強くなりなさい」とありますが、本来ここは受動態であって、「強くされなさい」と訳します。私たちは自分で強くなろうとするのではなく、イエスによって強くされる必要があるのです。
2.弱さの自覚こそが本物の強さを生む
私たちはまず、自分の弱さを自覚しましょう。頑張って強がってもそれはただの空元気でしかなく、ガラス細工ほどの脆い強さでしかありません。かつてのイエスの弟子たちの姿がまさにそんな強さでした。(マルコの福音書14:27~31)弟子たちは結局自分たちの強さが偽りだったことに気付き、弱さを自覚します。だからそこに神の聖霊が降り、本物の強さでイエスのことを伝道していったのです。私たちはいろんな弱さを抱えていますが、自分の弱さを否定するのではなく、まずは弱さを認めましょう。そこから本物の強さを持った信仰の歩みが始まるのです。
3.労苦を惜しまない
「若いときの苦労は買ってでもしろ」という言葉があります。苦労をすることによって鍛えられ、成長させられるのであって誰しも楽をして強くなることはできません。勉強でもスポーツでも、努力なしには賢くなったり足が速くなったりすることはありません。では、私たちはなぜ強くされる必要があるのでしょうか。テモテも、この手紙を送ったパウロも宣教者であり、伝道の働きが念頭に置かれていて、それには苦労が伴うからです。そして苦労が伴うのは私たちの信仰生活でもそうです。私たちはその艱難に負けないために強くされなければなりませんし、その艱難が私たちの信仰を成長させ、強くもさせるのです。
4.イエスをいつも思っていよう
強くされるためには苦労することが大切であり、その中で成長させられることがわかっていても、艱難は辛いことです。艱難に耐え、強くされるためには、イエスのことを常に思っている必要があります。真実ではない私たちですから、真実であるお方に目を向けなければなりません。イエスは人々に嘲られ、罵られましたが、どんなに酷いことをされても仕返しせず、正しく裁かれる方にお任せになって、十字架で死んでくださいました。私たちの中の弱い自分は、イエスの十字架とともに死ぬのです。そしてイエスが死の力を打ち破り甦られた本物の強さを与えられた者として神の御前を歩んでいきましょう。