主キリストによって新しくされる奇跡
ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 コリント人への手紙第二5章16~17節
11月の初日に、こうして愛する兄弟姉妹と共に聖餐式の礼拝を守れることを感謝します。この1ヶ月、いつも心に喜びと感謝が絶えることなく、元気をいただいて病や疲労感とも戦い、勝利して歩むことができるように祈ります。
ニュースを見ると、昨日は「ハロウイン」で、悪魔やゾンビの仮装をした人々が街に溢れ大変な騒ぎだったそうです。「ハロウイン」は北欧の民間宗教に由来した祭りで、そこで祀られているのは「死神=死をもたらす神」。教会とは全然関係ありません。私たちが崇めるのは、命の与え主である神様です。
今、世の中では、素直に人を愛せない、屈折した価値観が浸透し、何か悪魔的なものを呼び込んでしまう風潮があります。それに惑わされてはなりません。私たちを罪から救うために、ご自分の命まで捨てて十字架に架かって死なれたキリストを崇める者でありたいと思います。「命を呼び込み、救いを招き入れる」歩みでありたいと思います。宗教音痴の日本人の中にあって、キリストの愛の水準にかなう生き方を選び取って本当に幸せになりましょう。
今日は聖餐式です。私たちの罪を清めるために十字架で尊い血を流されたイエスの救いを事実として受け止めましょう。世の中には人が作り出した様々な処世訓や哲学と言われるものがありますが、神の言葉が語る原則にもう一度自分自身を据えて、恵みをしっかりといただきましょう。
聖餐式の前に、大切なことを2つ確認しましょう。
1.神が語られる通りにキリストを知る
人の知識としての知り方とは、図書館の「偉人伝」の中で「イエス・キリスト」を知るような知り方です。一方、聖書が語るのは、「キリストが私を愛してくださった。キリストの死は、私のためだった」(14,15節)ということを知ることなのです。もはやキリストとあなたは、他人の関係ではありません。もうすぐクリスマスですが、単にキリストの誕生日をお祝いするというだけでは終わりません。キリストがこの世にお生まれになったということは、罪が支配し悪の力がはびこっているこの世に、神の恵みと救いが進入し、死ぬべき私たちが永遠の命へと結び付けられ、本当の救いを体験できるようになったということなのです。クリスマスは、それを祝う時なのです。
2.新しく生まれ変わらせていただこう
キリストが私を愛して私のために死なれた、ということを受け入るならば、あなたが何者であろうとも、新しく生まれ変わらせていただけるのです。
聖書が語っている救いは、私たちの存在、生命の一番深いところから、まったく新しくされるということです。イエスが与えてくださる新しさは、私たちの命の質までも入れ替えることができるのです。
罪を赦され、神の前に義とされることの意味の大きさを忘れてはいけません。聖餐式で配られるパンは、ただのパンではありません。十字架に架かられたイエスの命を表すパンです。配られるぶどう酒を軽んじてはいけません。それは、十字架の上で流されたキリストの尊い血です。聖餐式は、単なる儀式ではありません。救い主イエス・キリストを100%いただいて、必ず救われ、病はいやされ、一切の悪しきものから解放されるのです。